【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第85回 やっぱり音楽って自由な方がいいものだよね by カルロス矢吹
ESSAY / COLUMN
〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターはカルロス矢吹さんです。
9月末に開催された音楽フェス『りんご音楽祭』で、フルカワミキ÷ユザーン×ナカコーがSUPERCARの楽曲を演奏したらしい。らしい、というのは、私は会場に行けなかったからであり、SNSでみんなが興奮と共にポストしているのを見てこのコラム書いているからだ。行っていた人達、いと羨まし。先のフェスで演奏されたSUPERCARの楽曲は「WONDER WORD」「Sunday People」「STROBOLIGHTS」の三つ、どれもバンドを代表する屈指の名曲ばかり。SUPERCARは、私見を省いたとしても2000年前後の音楽ファンにとって稀有なバンドだったと思う。ナカコーが作曲し、いしわたり淳治が歌詞をつけた楽曲群は、平熱のままリスナーのテンションを上げてくれた。特に当時流行していた“青春パンク”や“インディロック”はちょっと暑苦しくて、居心地が悪かった私には、SUPERCARの楽曲はスッと身体に馴染んでいったことを覚えている。残念ながらバンドはちょうど二十年前の2005年に解散したが、個人的にそれ以降もメンバーそれぞれの活動は追いかけていた。なので、フルカワミキやナカコーが、こうやってかつて所属していたバンドの楽曲を演奏するのは特段珍しいことではない、ということは承知している。
とはいえ、この場を借りて延々自分語りをしたいわけではない。もう少し視点を引き上げて、好きなアーティストが昔の楽曲を演奏してくれることって当たり前じゃないよね、って話をしたい。ほら、再結成したけど元のバンド名が使えないだの、再結成に参加しなかったメンバーから楽曲を使用しないよう言われただの、特に今年はそういうニュースをよく見聞きしたでしょ。個人的にはそういうのって、著作権法的には理屈の通った振る舞いなんだろうけど、なんだかなあと思い続けていた矢先だったから、こうしてSUPERCARの楽曲が公の場で演奏されていたことを聞いてとても嬉しかった、というより安心した。二十年前と比べると、著作権に対する社会の考え方も、また著作権自身も大きく様変わりしてしまった。(まあ、「おふくろさん騒動」なんかも二十年前の出来事ではあるのだが。)メジャーに所属し、作詞作曲は担当がそれぞれ異なり、色々な人間が制作に関わっていただろうSUPERCAR。その楽曲が、現代で自由に奏でられているというのは、それだけで恵まれた環境なんだよ、ファンにとっては。ナカコーが作ったものを自分で歌うんだから当たり前のことなんだけれど、それでさえ出来ない局面があるわけだから。
リアルタイムでファンだった人間だけでなく、最近になってから好きになった人目線からも触れておきたい。例えば、二十歳のリスナーからしたら、どう足掻いたって後追いでしか聞けないわけで。そういう人達からしたら、例えアレンジが大幅に変わっていたりしても、余計に足を運んだライブで昔の曲もやって欲しいだろうなと思う。ピンクパンサレスが、ドラムンベースというジャンルを鮮やかに再定義したように、新しい才能ってビックリする様な角度から過去の遺産を解釈するからね。
だからやっぱり、音楽って自由な方がいいよね。もちろん程度問題はあるんだろうけれども。
作家 カルロス矢吹
作家。1985年宮崎県生まれ。世界60ヵ国以上を歴訪し、大学在学中より国内外の大衆文化を専門に執筆業を開始。著書に「北朝鮮ポップスの世界」「世界のスノードーム図鑑」「日本バッティングセンター考」など。展示会プロデュース、日本ボクシングコミッション試合役員なども務め、アーティストやアスリートのサポートも行う。上田航平、ラブレターズ、Saku Yanagawa、吉住、Gパンパンダ星野の6名によるコントユニットTokyo Sketchersの米国公演準備中。