【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第63回 親友とパフェを食べる日 by 狗飼恭子

ESSAY / COLUMN

〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは狗飼恭子さんです。

 横浜にある有名なフルーツパーラーで友人とパフェを食べた。果物屋さんが運営しているお店で、パフェとフルーツサンドしかメニューにないような専門店だ。わたしはパティシェが作るような細やかで繊細なものよりも、王道で素朴なパフェが好きだ。果物を素材そのままどうぞと出してくれるような。とはいえパフェというのはかなり芸術点の高い食べ物であることはいなめない。
 「パフェって都会の食べ物だよね」
とわたしが言うと、友人はそうだねと答えた。

たぶん、都会暮らしの友人にはぴんと来ていなかったろうけれど。友人はいちじくのパフェ、などという芸術点最高ランクのものを食していた。生のいちじくとキャラメリゼされたいちじくが交互に並べられている。わたしが頼んだのはオーソドックスなフルーツパフェ。オレンジと林檎とキウイと苺とバナナが飾られていて、生クリームがあって、バニラアイスクリームがのってるやつ。まさに王道。と、お店の中にXinUのライブのフライヤーが置いてあるのに気づいた。手に取ると、それなんて読むの? と友人に聞かれた。
 「シンユウ。歌手だよ」
 音楽に疎い友人はXinUのことを知らなかったようなので説明をする。

 わたしがXinUを知ったのはmabanuaが曲提供とプロデュースをした「いつのまにか」という曲。最初に思ったのは、ハンサムな声だな、ということだった。力が抜けていてさっぱりしている。わりと高い声なのになぜか性別を感じさせない。中性的な音色。声だけじゃなく、発音とか息遣いとかそういうものも関係するのかもしれない。

 ハンサムな声、というわたしの個人的感想に興味を持ったようで、友人はすぐに検索を始めた。
 「なんか本人の佇まいもハンサムじゃない?」
そうそう、とわたしも同意する。「触れる唇」のMVを観れば納得してもらえるだろう。Tシャツから伸びる二の腕、体の動かし方、眉のひそめかた、それらすべてがハンサム。恋人というよりは憧れの先輩的格好良さがあるのだ。

 もちろんXinUの魅力は声と佇まいだけじゃない。歌だっていい。たとえば「Hora Hora」にはこんな歌詞がある。

そのままでいてよ
だれかに
なんて
なれなくたっていい

ほら笑って
奪わせないから。

 XinUの魅力の一番は、あのハンサムな声で、こんな直球の優しい言葉をかけてくれるところだとわたしは思う。冴えない自分にため息をつく日に聴きたくなる言葉たち。

 そういえばXinUの歌い方って、なんだか喋ってるみたいだ。ひとりごとじゃなくて、誰か親しい人とお喋りしているみたい。ヘッドフォンで聴いていると話しかけられているみたいな気持ちになる。ひょっとしてXinUという名前には親友という意味も含まれているのだろうか。ちょっと落ち込んだときに声を聴きたくなる人がたぶん親友なんだろうから。パフェを一緒に食べる、それだけで元気になれてしまうような人。

  XinUの歌は聴けば聴くほど体になじむ。まるでわたしたちの関係みたいにね。なんて、友人に言おうかと思ったけど恥ずかしくってやめた。

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小説家とエッセイスト 狗飼恭子 LINK

18歳のときに詩集「オレンジが歯にしみたから」(KADOKAWA)を上梓。その後、作家、脚本家として活動を始める。主な著作に小説「一緒に絶望いたしましょうか」、エッセイ「愛の病」(共に幻冬舎)などがある。また、主な脚本作品に映画「風の電話」(諏訪敦彦監督)、映画「ストロベリーショートケイクス」(矢崎仁司監督)、映画「百瀬、こっちを向いて。」(耶雲哉治監督)など。近作に、ドラマ「忘却のサチコ」「竹内涼真の撮休」「神木隆之介の撮休」や映画「エゴイスト」(松永大司監督)などがある。