【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第44回 台湾からの歌声が混乱の時代に響く by 青野賢一

ESSAY / COLUMN

〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは青野賢一さんです。 

 2010年代のはじめ、好事家のあいだで火がつき、やがてインターネットを介してより多くの人の知るところとなったヴェイパーウェイブ。幻想的で郷愁を感じさせるスローでチルなこのサンプリング・ベースの音楽をわたしは結構好きでYouTubeでよく視聴していたのだが、2010年代の半ば以降はヴェイパーウェイブの手法を用いながらもグッとアップテンポなフューチャーファンクと称されるものが目立ってくるようになる。サンプリングのネタには1980年代、90年代あたりの日本のポップスが多く採用され、それをダフトパンク的なフィルター・ハウスに仕立てたそれらは、いわゆるディスコ・エディットと近しいものであり、自分にとっては特段新鮮さはなかったものの、サンプリング・ネタからCindy「私達を信じていて」や具島直子「今を生きる」、Especia「海辺のサティ」などのフェイヴァリットを「発見」することができた。

 フューチャーファンクのシーンでとりわけ人気だったのはNight Tempoによる竹内まりや「プラスティック・ラブ」。そのせいかフューチャーファンクの曲を視聴すると、関連動画でさまざまな「プラスティック・ラブ」が引っかかってくる。あるとき、そのなかの1曲を何とはなしに再生してみた。「ザ・ベストテン」を模したキッチュさと透明感のある歌声が印象的なこのミュージック・ビデオこそが9m88との出会いである。台湾のアーティストが「プラスティック・ラブ」を取り上げていることにまず驚いたのだが、同時に9m88という名前も強烈にインプットされることとなったのだった。

 9m88(ジョウエムバーバーと読む)は台湾は台北生まれのシンガー・ソングライター。大学でファッションを学んだのち、ニューヨークの「ニュースクール大学ジャズ&コンテンポラリーミュージック」でジャズを専攻し、音楽の道を歩みはじめる。台湾でメジャーな存在のラッパー、Leo王の「陪妳過假日」にフィーチャリング・ボーカルとして参加したことで一躍注目の的となった。先の「プラスティック・ラブ」は彼女のデビュー・シングル「九頭身日奈」(2017)のカップリング曲。わたしがYouTubeで知ったのもちょうどその頃である。2019年にはデビュー・アルバム『平庸之上 Beyond Mediocrity』をリリース。「プラスティック・ラブ」でやや脆弱に感じられたトラックのクオリティは生演奏を大幅に導入したことで格段に向上し、またボーカルにソウルフルなコシが加わって、優れたソウル/R&B作品に仕上がった。続くアルバム『9m88 Radio』(2022)はOddisee、サイラス・ショート、SUMIN、DJ Mitsu The Beats、StarRoといった米、韓、日のアーティスト、プロデューサーらとコラボレーションし(収録曲「What If?」にはトランペット奏者の黒田卓也が参加)、より多彩な内容に。現時点での最新アルバム『SENT』(2023)では室内楽の要素を取り入れたり、ジャズ色の濃い楽曲があったりと、ますます表現の幅を広げている。

 さて、そんな彼女の生まれ故郷である台湾は、先の総選挙で民主進歩党の頼清徳氏が当選したことを受けて、中国との緊張関係がさらに高まっているのはご存じのとおり。”NO MUSIC, NO LIFE.”のキャンペーン・ポスター(2023年10月から12月)で彼女は「混乱するほどに、もっとメンタルヘルスが必要な時代 音楽は道を照らして導いてくれるランプ」と述べているが、混乱という言葉は今の台湾の状況を端的に表すものではないかと思う。そうした時代に生み出される彼女の音楽を聴くわたしたちにできることはなんだろうか。彼女の楽曲に触れたとき、台湾のことを思い出して情勢を調べてみる––––そのあたりから始めて、そこから何ができるのかを考えてみるのもいいだろう。いずれにせよ、無関心、あるいは見ないふりをするのは慎みたい態度である。

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ライター 青野賢一 LINK

1968年東京生まれ。
ビームスにてPR、クリエイティブディレクター、音楽部門〈ビームス レコーズ〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。
現在は、ファッション、音楽、映画、文学、美術などを横断的に論じる文筆家としてさまざまな媒体に寄稿している。2022年7月には書籍『音楽とファッション 6つの現代的視点』(リットーミュージック)を上梓した。