【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第27回 忘れがたいものになった12のスケッチ by 青野賢一
ESSAY / COLUMN
〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは青野賢一さんです。
2023年1月17日に坂本龍一のアルバム『12』がリリースされた。オリジナル・アルバムとしては『async』以来、約6年ぶりとなる作品で、発売日は坂本龍一の71歳の誕生日であった。2014年に中咽頭がんを発症。それを克服し活動を続けていたが、2020年に直腸がんが発見されて2021年1月に大手術を行った。術後の長い入院期間を経て同年3月初旬に退院後、「少し体が回復してきた3月末のこと、ふとシンセサイザーに手を触れてみた」(坂本龍一による『12』メッセージ)。その日以降、そうして日記のように録音された「スケッチ」を12曲収録したのがアルバム『12』である。ゆったりとしたシンセサイザーの響きが漂いはじめたかと思うと、それが心身にじんわりとしみ込んでくる「20210310」で幕を開ける本作は、レーベル〈commmons〉の特設サイトによればアルバム後半のピアノ曲(トラック8、9、11)を除いてほぼ一筆書きだという。シンセサイザー、ピアノのほか、環境音も「音楽」の一部としてそのまま録音されており、収録曲が非常にパーソナルなものであるのを伝えるのと同時にインティメイトな雰囲気を醸し出しているようである。
アルバム・デビューは1978年。のちにイエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)のライブで取り上げられ、『BGM』(1981)にも収録されることとなった楽曲「千のナイフ」をアルバム・タイトルに冠した作品である。わたしが氏の音楽に最初に触れたのはYMOを通じてであった。初めて自分で買ったレコードがYMO『ソリッド・ステート・サヴァイヴァー』(1979)で、そこから坂本龍一のソロ作品『千のナイフ』、『B-2 UNIT』(1980)も買い求めた(当然、その後に出た『左うでの夢』も)。長いキャリアのなかで、時代によって作品の振れ幅もそれなりに大きいが、わたしは10代のはじめに最初期2作を体験していたので、のちの氏のさまざまな音楽的アプローチもすんなり受け入れることができたように思う。『千のナイフ』におけるビートレスの「Island Of Woods」や高橋悠治とのピアノ連弾曲「Grasshoppers」、『B-2 UNIT』のダブやサウンド・コラージュ、『左うでの夢』での沖縄音楽のフレイヴァーやボーカル作品といったように、氏の初期作品にはのちの創作活動の発展の礎となるような要素が内包されていたのだ。また、YMOの作品で坂本作の楽曲からガムランやケチャ、ミニマル・ミュージック、フランス近現代音楽のエッセンスを知ることもあり、そうした点も後年のソロ作品への理解を深める一助となった。
先に挙げたレコードに加えて、わたしは氏が当時パーソナリティを務めていたラジオ番組「サウンドストリート」も欠かさず聴いていた。番組でかかるニューウェーブ、ワールドミュージック、コンテンポラリーといったさまざまな音楽はわたしの音楽的興味の幅を大いに拡張し、そのリスニング体験は血肉となった。それなので、こうして新しい作品を発表してくれたことが素直に嬉しい。
このアルバムがリリースされた2023年1月17日からさかのぼること6日、1月11日にYMOの盟友である高橋幸宏さんがお亡くなりになった。逝去の翌日に知らせを受けたわたしは、大きな喪失感と悲しみと受け入れられなさが混ざり合い途方に暮れて、いろいろなことが手につかなくなってしまった。当然、音楽を聴くこともできなかった。そうした数日間を経た本作のリリース日。構えることなく、極めて自然に『12』を再生したら、「ああ、音楽だ」と感じ、少しだけ心が和らいだ。その日から徐々にではあるがふたたび音楽を聴きはじめ、悼む気持ちを持ちながら「出来るだけいつものように」生活するように努めた。おそらくだが、わたしと同じような気持ちで『12』に接した人は少なくないのではないだろうか。
わたしにとって『12』はこれから先も聴くたびに2023年1月11日から17日の自分の心持ちを思い出させてくれるであろう作品であり、日記のようなスケッチが集まったこのアルバムは、こうしてわたしの日記になった。