【ポップの羅針盤】第23回 チャーリーxcxとミツキが向かった荒地の家と死の肖像 by 柴 那典
ESSAY / COLUMN
二つの作品は、まるで偶然の符合のように同じモチーフを描いている。
チャーリーxcxの新作『Wuthering Heights / 嵐が丘』と、ミツキの新作『Nothing’s About to Happen to Me』。2026年2月にリリースされた2つのアルバムは、共に「荒れ果てた家」を舞台にしている。そこで暮らす一人の女性を主人公にしたコンセプチュアルなストーリーを持つアルバムになっている。それだけではない。ゴシック的な世界観や参照する文脈にもリンクがある。
もちろん示し合わせたわけではないはずだ。単なる偶然であるとは思う。でも、そこには何らかの時代的な必然を感じてしまう。というのも、チャーリーxcxもミツキも、前作が得た巨大なバズと世界的な成功を経て、創作者としての芯の部分まで深く摩耗していたはずだから。「荒涼とした屋敷」は単なる舞台設定ではなく、そこにはすり減った魂が向かうべき場所としての切実な引力があったのではないだろうか。
チャーリーxcxの『Wuthering Heights / 嵐が丘』は、エメラルド・フェネル監督の新作映画『嵐が丘』にインスパイアされ制作されたアルバムだ。原作はエミリー・ブロンテの生涯唯一の作品にして、19世紀から読みつがれてきた英文学の古典。2024年の年末、チャーリーxcxはエメラルド・フェネルから「脚本を読んでみないか」という連絡を受けたという。
当時の彼女はアルバム『Brat』のセンセーションをくぐり抜け、疲弊の底にあった。もう音楽を作れないかもしれないとすら感じていたという。けれど脚本を読みインスピレーションが湧いた。最初は1曲のオファーだった。けれど彼女のほうから「アルバム全体を作らせてほしい」と逆に提案した。そしてアルバムは単なるサウンドトラックではなく、チャーリーxcxの視点から同作を捉えたような作品に仕上がった。「荒地の家」を舞台にしたゴシック・ロマンスの名作を女性主体の現代的な視点から再構築したフェネル版『嵐が丘』の物語が、チャーリーxcxの創作意欲に火をつけたのだ。
ミツキの新作『Nothing’s About to Happen to Me』は、荒れ果てた家に暮らす引きこもりの女性を主人公にしたストーリーが描かれる。アルバムの舞台は「タンジー・ハウス」という架空の屋敷。リード曲「Where’s My Phone?」のミュージックビデオやアルバム収録曲のリリックビデオでも、ゴシック様式の家具や装飾に満ちたその家が描かれる。
振り返ればミツキもまた大きな状況の変化に直面していた。前作『The Land Is Inhospitable and So Are We』の収録曲「My Love Mine All Mine」がTikTokで爆発的にバイラルした。リスナー層はそれまでのインディ・ロック愛好家から一気に広がった。ポップ・ミュージックのメインストリームを担うスターの一人としてグローバルなブレイクスルーを果たした。そのことはやはり彼女にとって魂が削られるような疲弊をもたらしたのではないだろうか。
アルバムの中盤に収録された「Dead Women」という曲がある。作品全体のテーマが「死」へと接続する大事な曲だ。そこでミツキはこう歌う。
Would you have liked me better if I’d died
(私が死んだら もっと好きになってくれた?)
So you could tell my story the way it ought to be?
(あなたは私の物語を あるべきように語れる)
〈Mitski「Dead Women」より〉
この曲で書かれている「あなた」は、物語の登場人物ではない。世間やファンや消費者やメディアの象徴だ。きっと、そういう人たちが「私」の死後に両親を訪ね、遺品を漁り、都合よく物語の空白を埋めるだろう、と歌詞は続く。そしてこの曲の「私」はミツキ自身のことだけを示す言葉ではない。この言葉が象徴するのは、同じように、消費され、魂が削られ、亡くなって、そして死後に神格化されてきた数々の女性作家や女性アーティストの存在だ。そのことがはっきりとわかる一節がある。
If I’d died willing, you’d have taken it nice
(私が自ら死んでいたら あなたはそれを綺麗に受け止めてくれたはず)
If I’d sewn rocks in a dress, gone with grace into a lake
(ドレスに石を縫い付けて 湖に優雅に消えたりしたら)
〈Mitski「Dead Women」より〉
このラインからは、20世紀イギリスのモダニズム文学を代表する作家、ヴァージニア・ウルフの死が強く想起される。1941年3月。ヴァージニア・ウルフはコートをはおり、そのポケットに石をつめてウーズ川に入水自殺した。そして死後、彼女の死を巡る物語は多くの人たちに消費されてきた。
ミツキとチャーリーxcxの新作をつなぐ最重要キーパーソンが、ヴァージニア・ウルフだ。
ヴァージニア・ウルフはエミリー・ブロンテの魂を受け継いだ作家だった。生涯の中でたびたびその名に触れてきた。『自分だけの部屋』で家父長制の抑圧のもと女性作家が書くことの困難を論じた時も、エミリー・ブロンテを「ひるまずに自らの表現を貫いた例外的な才能」として称賛した。
そしてエメラルド・フェネルもまた、男性社会の中で「ひるまずに自らの表現を貫く才能」である。称賛を浴びたデビュー作の『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020年)がそういう作品だった。同作のプロデュースを手掛けたマーゴット・ロビーもそうだ。2人は何年もかけて共闘関係を結んできた。マーゴット・ロビーが主演し自らプロデュースを手掛けたグレタ・ガーウィグ監督作『バービー』(2023年)にもエメラルド・フェネルは出演している。『嵐が丘』もマーゴット・ロビーが主演し自らプロデュースした作品だ。そのタッグがチャーリーxcxを招いたのである。
エメラルド・フェネルは『嵐が丘』の制作にあたって、「14歳で初めて読んだ時に受けた衝撃をスクリーンに焼き付けることを目指した」と語っている。決して原作の忠実な映画化ではない。しかしそこにはエミリー・ブロンテが描き出したゴシックの原理が純度高く抽出されている。
映画には「死」のモチーフが繰り返される。エロスとタナトスの相転移、すなわち「性の官能」と「死への情動」がいわば水と氷のように本質的には同じものであるということが、物語の軸になっている。冒頭の絞首刑のシーンはその象徴だ。そして物語はマーゴット・ロビー演じるキャサリンの視線で進む。ヒースクリフとの破滅的な愛を通して、抗うことができない奔流のような欲動の力が描かれる。
この「抗うことができない奔流のような欲動の力」こそ、ヴァージニア・ウルフが『嵐が丘』に見出した最大の魅力だった。ヴァージニア・ウルフは『嵐が丘』について「そこには『私』という主語が存在しない。愛はあるけれど男女の愛ではない」と評している。エミリー・ブロンテという作家に対して「巨大な混沌に引き裂かれた世界を見渡し、それを一冊の本の中で結びつける力を自身の内に感じていたのだ」と称賛している。その見方とエメラルド・フェネルが「14歳で初めて読んだ時に受けた衝撃」には、きっと通じ合うものがあるはずだ。
だからチャーリーxcxのアルバムにも必然的に「死」のモチーフが頻出する。リードシングルの「House feat. John Cale」で彼女は繰り返し叫ぶようにこう歌う。
I think I’m gonna die in this house
(私はきっとこの家で死ぬだろう)
〈Charli xcx「House feat. John Cale」より〉
収録曲の「Dying for You」はアルバムの中でも最も切実で、最もポップな一曲だ。そこではこんな言葉がリフレインされる。
All the pain and torture that I went through
(私が耐えてきた全ての痛みと苦しみ)
All makes sense to me now, I was dying for you
(今なら全てが理解できる あなたに焦がれ/あなたのために死のうとしている)
〈Charli xcx「Dying for You」より〉
チャーリーxcxは四つ打ちのクラブビートと美しいストリングスと共に「抗うことができない奔流のような欲動の力」をとてもロマンティックに音楽に昇華している。エクスタシーと死が交差する瞬間、その高揚が3分間のポップソングに結実している。
ミツキの『Nothing’s About to Happen to Me』にも「死」のモチーフが頻出する。「Instead of Here」では荒れ果てた家の床に横たわり、死に近づこうとする。「Charon’s Obol」では、その家で以前にも少女たちが死んでいるということが明かされる。曲名はギリシャ神話における「冥界の渡し賃」、死者の口に含ませるコインのことだ。
ただ、ミツキは死からその身を翻す。荒地の家で息絶えた少女たちの幽霊。名声に消費されて神話化されてきた「Dead Women」たち。その思いを引き受けた上で、ラストトラック「Lightning」でこう歌う。
Here we are
(ここにいる)
We’ve been waiting to be born again
(ずっと待っていたんだ 生まれ変わるのを)
〈Mitski「Lightning」より〉
この曲では「Dead Women」で歌った水のモチーフが反転する。あの曲では湖に沈む死への憧憬が描かれた。しかし「Lightning」では、死せる魂が雨になって再びこの世界に降り注ぐ。魂の再生が決然としたメロディで歌われる。それを祝福するかのように轟音のギターサウンドが鳴り響く。
エミリー・ブロンテも、ヴァージニア・ウルフも「Dead Women」だった。そしてチャーリーxcxもミツキも、エメラルド・フェネルもマーゴット・ロビーも、その魂を受け継いだアーティストだ。
『Wuthering Heights / 嵐が丘』と『Nothing’s About to Happen to Me』の本質的なリンクはそこにある。チャーリーxcxもミツキも、名声に摩耗されてゴシック様式の「荒れ果てた家」に向かった。そして、チャーリーxcxはエクスタシーと死の交差の中に、ミツキは降り注ぐ雨の中に、それぞれの「魂の再生」を見出した。
そういう時代の必然を2つの作品に感じる。
音楽ジャーナリスト 柴 那典(しば・とものり) LINK
1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオ出演など幅広く活動する。著書に『平成のヒット曲』(新潮新書)、『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『ボカロソングガイド名曲100選』(星海社新書)、『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。ブログ「日々の音色とことば」
Twitter:@shiba710 /note : https://note.com/shiba710/