【Good Taste Is Timeless】第3回 旧郡役所のおにぎりとアレックス・チルトン by 松永 良平

松永 良平(まつなが りょうへい)

ESSAY / COLUMN

八女(やめ)に行こうと決めたのは、ほんの1週間ほど前だった。

2024年6月9日、福岡県八女市で〈第一回 郡役所の大音楽会〉というイベントが行われるという告知をSNSで見かけた。地元福岡のバンドだけが出るワンデーフェス。主宰は友人の鋤田くん。場所は、明治時代から残る木造建築をリノベーションした旧郡役所。その中央には、人がたくさん集える土間がある。ライブはたぶん、そこでやるんだろう。

 「楽しそうです。行けるかもと思ってるんですが……」と鋤田くんにDMしたら、すぐに「うれしいです!」と返事。前日8日に大阪でDJをする予定なのでレコードも持っていると伝えたら、「DJもお願いします!」と、これも即答。大阪から福岡県の八女市は、東京から見て西側ということ以外、ぜんぜん近くない。だけど、行きたいし、スケジュール的にも行けそうだと思ってしまった。そうなればもうお金の問題じゃなくなる。

 鋤田くんの招きで、ぼくの本の出版記念トークイベントをさせてもらったのが、八女との最初の縁。この人たちがやろうとしてることは面白いなと素直に感じた。コロナ禍でしばらく間が空いてしまっていたし、行きたい理由は自分で作ればよかったのだ。

 八女市は、人口6万人ほどの小さな自治体だ。九州を縦断する鹿児島本線の沿線ではなく、ぼくのように車がない人間にとっては少し不便な場所にある。でも、イージーなアクセスからちょっと離れた場所にあることで、独自のコミュニティや文化が根差す可能性があるし、鋤田くんもそれを目して奮闘している。いわゆるオラが町おこし”的な頑張りというより、彼の場合は、旧郡役所という魅力的な場所を利用して、日本内外の音楽や文化の中継地であり交差点であるようなスタンスをとっている。彼がボランティア・スタッフとして参加している〈FESTIVAL de FRUE〉のあり方に影響されている部分もあるだろう。

 旧郡役所のリノベーションを中心的に牽引し、建物のなかに家業である「朝日屋酒店」を引っ越し営業させてしまった高橋さんは、自分より二回りほど若い鋤田くんに賛同した。彼の熱意につられるように自分の酒店で音楽の会を開いたり、この土間スペースを各地のミュージシャンのライブなどに積極的に提供したり、ここだからできる面白いことをしようとしているのがわかる。

 そういえば、以前話したとき高橋さんはクラシック好きだと言っていたはずなのに、「松永さんがトーク用に選んだプレイリストを聴いていた影響で、アレックス・チルトンが好きになってしまって」と、今日こっそり打ち明けてくれた。

 当日、出演したのは、SetagayaGenico、MuchaMuchaM、伊藤暁里(Taiko Super Kicks)、nui、Lil Summerの5組。知っていたのは伊藤くんとLil Summerくらいで、他の3組は初見だ。最初がSetagayaGenico。実はここに来るまで、出演アクトはすべてアコースティックセットのはずと勝手に思い込んでいた。だって、ここは古い木造建築で、防音設備なんてない。ドラムやアンプを持ち込んで大きな音を鳴らせば、そりゃダダ漏れよ。しかし、ひと組目のSetagayaGenicoから、わりと遠慮なく大きな音を出している。鋤田くんに思わず聞いた。「近隣の許可はもらってるの?」「ハハハ、なんとかなるかなと」。えー、なるのかな。

 ただ、そんなのはよそから来たぼくの杞憂なのかもしれない。酒店を訪れたお客さんたちも窓から興味深そうに演奏を覗いてる。この旧郡役所では何度もユニークな演奏会が行われているし、鋤田くんや高橋さんによる文化的地固めがかなり効いているんだろう。

 そして、何より効果的なのは、このハコ。大きな音だとしても木造の建物はうまく響きを吸い込む。もしかしたら郡役所というエフェクターを通した天然のチューニングのおかげで、周囲の家庭にも不快なノイズには聴こえずに済んでいるのかな。

 だとしたら、自分のDJも遠慮なくやりたい。用意してもらっていたスピーカーは、70年代のステレオセットについていたようなヴィンテージもので、レコードの音が気持ちいい。ボリュームを大きめにかけていたら、お客さんも何人か踊り出した。最初にバンドとバンドの幕間で30分。そして、アフターアワーズに終了時間未定の“ボーナスタイム”があり、そこもぼくの持ち時間だ。

 もともと室内の照明が少ないので、ライブ用のライトを片付けるとDJブースの周囲も一気に暗くなった。東京より福岡は日没が遅いとはいえ、もうとっぷりと陽が暮れた。お客さんも残り少なくなるけど、高橋さんが踊っているからやめられないぞ。

 暗がりでDJしていたら、背後から突然ぬっと手が伸びて、ミキサーのそばに何やらまるいものが置かれた。それは、握りたてのおにぎりだった。

 振り向くと、満面の笑顔で中村くんが立っていた。鹿児島で「食堂 湯湯」を営む彼は、この日のイベントに賛同し、フードを担当するために福岡までやって来たのだった。

 「おひねりの代わりにおにぎりです。いい音楽が鳴ってたので」

 おひねり! DJとして人生で初めてもらったおひねりがおにぎりだなんて。建物は古いが、音楽もおにぎりも握りたてほやほや。最高じゃん。

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ライター 松永 良平(まつなが りょうへい)

1968年熊本県生まれ、東京在住。ライター/編集/たまに翻訳。雑誌/ウェブを中心に記事執筆、インタビューなどを行う。著書に『20世紀グレーテスト・ヒッツ』(音楽出版社)『ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック』(晶文社)。編著に『音楽マンガガイドブック』(DU BOOKS)など。翻訳書に『ブライアン・ウィルソン自伝』(DU BOOKS)『レッド・ダート・マリファナ』(国書刊行会)。映画『アザー・ミュージック』では字幕監修を務めた。雑誌『POPEYE』にて「ONGAKU三題噺」、音楽ナタリーにて「あの人に聞くデビューの話」連載中。自分の意思で買った最初のレコードは原田真二かCharになるはずだったが、弟の介入により世良公則&ツイストのファーストに。