【ポップの羅針盤】第5回 BLANKEY JET CITYと2000年というターニングポイント by 柴 那典
ESSAY / COLUMN
「伝説は、ただ懐かしむためにあるわけじゃない」
BLANKEY JET CITYのサブスク全曲解禁とアナログ盤発売の報を受けて、最初に思ったのがそのことだった。特設サイトへの寄稿を依頼されたので、まずはそのことを書いた。
大事なのは若い人たちに届くこと。どんなに伝説的な存在だったとしても、聴くことができなければその真価は伝わらない。CDは廃盤。中古も高値だ。アクセスする手段がなければ、畢竟、若い世代の中には知らない人も増えていく。その存在は徐々に埋もれ、忘れ去られていく。そうなれば日本のロックシーンの歴史にとっても大きな損失だ。
だから、今回のサブスク解禁の話題が大きく広がったことは、正直、とても嬉しいことだった。当時のファンのみならず幅広いリスナーにとって待望のニュースだったことが示されたわけだ。
配信開始は2024年7月28日。それに先駆けた7月9日には、新たに開設されたバンドのYouTube公式チャンネルにて、ラストツアーのファイナル公演を収録した『LAST DANCE』のフルHD最新映像が一夜限りのYouTubeプレミアにて公開された。
それを観て、改めて思った。浅井健一、照井利幸、中村達也という3人が生み出すロックンロールの躍動感、その奇跡的なトライアングルは、今もまったく色褪せていない。衝撃は薄れていない。
2000年の解散から24年。ラストステージは7月28日のフジ・ロック・フェスティバルだった。国内アーティストとしては初となるヘッドライナーで、同日に出演したのはフー・ファイターズとケミカル・ブラザーズ。翌日の7月29日にはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが同じくヘッドライナーを務めている。
筆者もその場にいた。あの時はただただ興奮していただけだったが、凄い時代だったなと思う。ミッシェルは絶頂期だった。ブランキーはトップフォームで火花を散らすようなステージを繰り広げ、華々しく最後を飾った。
思えば、ブランキーが解散した2000年は、日本のロックシーンにとってのひとつのターニングポイントであったようにも思う。
90年代に華々しく活躍したバンドたちは、この年以降、次々と活動に幕を下ろしていった。ブランキーに続き、2001年1月にTHE YELLOW MONKEYが活動休止。同年3月にJUDY AND MARYが解散。2003年10月にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが解散している。
一方で、新たな価値観と感性を持ったバンドたちが頭角を現していったのもこの頃だ。その代表が2000年9月にメジャーデビューを果たしたBUMP OF CHICKENだろう。ミッシェルが解散した年である2003年の4月にはASIAN KUNG-FU GENERATIONがメジャーデビューしている。
バンプやアジカンが代表するような00年代以降の「邦ロック」シーンの美学と感性は、いわゆる不良性とは切り離されたところにある。2020年代の日本のポップカルチャーは「アニメとロックの蜜月」に彩られているわけだが、その萌芽が撒かれたのも彼らが頭角を現していった00年代初頭のことだ。
一方で、BLANKEY JET CITYの魅力は「不良少年のリリシズム」とも言うべき、言葉の美意識にある。
浅井健一の綴る歌詞はとても映像的で、鮮烈なイメージの連なりから成り立っている。言葉で何かを説明したり、何らかのテーマやメッセージを伝えるようなことはない。キラーフレーズを散りばめ、ぶっ飛んだ情景を描写し、その言葉がリズムに乗って疾走する。
たとえば「ダイナマイトを持ってきてくれよ ガソリン入りのビンでもOK」(「D.I.J.のピストル」)だったり、「ただ鉄の塊にまたがって揺らしてるだけ 自分の命揺らしてるだけ」(「ガソリンの揺れ方」)だったり、「バックファイヤー途切れ途切れで フィッシュ・テールの先が溶け出してる」(「SATURDAY NIGHT」)だったり。
意味や意図を捉えようとしても、掴めるものは多くない。けれど、確実に何かの感覚は伝わる。バイクと革ジャンを愛する刹那のロマンティシズム。ヒリヒリとした切迫感。美しく純粋なものを愛する無垢な少年の眼差し。そういう感性が伝わってくる。
それゆえ彼らは後続世代のミュージシャンだけでなく、詩人や小説家にも影響を与えてきた。こたとえば詩人の最果タヒや、芥川賞作家の九段理江なども、BLANKEY JET CITYや浅井健一への敬愛を語っている。
《常に「新しさ」を駆動力として前進を続けてきたと素朴に想像されがちなポップミュージックの歴史にあって、その実「過去」こそが重要な推進力として機能し、ときには現在と未来に重ね合わせられてきた》。
柴崎祐二『ポップミュージックはリバイバルをくりかえす 「再文脈化」の音楽受容史』にはこう書かれている。それまで過去の範疇にあった音楽に新たな意味を付与する、つまり「再文脈化」することで様々なジャンルの音楽がリバイバルされるというポップミュージックの歴史を辿っている。
そういう視点に立って考えるならば、今、日本のロックシーンの歴史を紐解いたときに、最も「再文脈化」されるべきバンドの一つがBLANKEY JET CITYと言えるのではないだろうか。
伝説は、ただ懐かしむためにあるわけじゃない。若い世代に発見され、参照され、受け継がれることで、未来を推進する。その希望のためにあるのではないかと思っている。
音楽ジャーナリスト 柴 那典(しば・とものり) LINK
1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオ出演など幅広く活動する。著書に『平成のヒット曲』(新潮新書)、『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『ボカロソングガイド名曲100選』(星海社新書)、『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。ブログ「日々の音色とことば」
Twitter:@shiba710 /note : https://note.com/shiba710/