【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第36回 人をご機嫌にできるものこそ最高だ by 狗飼恭子
ESSAY / COLUMN
〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは狗飼恭子さんです。
東京から地方に移住して、一番変わったのは移動手段だった。都内にいたときは地下鉄と徒歩でどこにでも行けたけれど、今住んでいる村に電車は通っていない。最寄りのお店までは歩いて三十分。だからよく車に乗るようになった。
と言いつつ、わたしは運転免許を持っていない。乗るのは常に助手席である。
助手席は素晴らしい。
じっと座っているだけで目的地へ着く。雨にも濡れない。窓の外を流れる景色を眺めるのも楽しい。クーラーもヒーターもあって温度を自分で決められる。いつでも窓が開けられる。最高だ。
その上、音楽が聴ける。
わたしがその曲と初めて出会ったのも車の中だった。偶然かけていたカーラジオから流れてきたのだ。
「いい歌だね」
「誰の歌だろう」
「外国のアーティストかな」
などと、運転席の彼と言い合う。英語の歌で、歌詞はほとんど聞き取れなかった。というより、音の並びがあまりに気持ち良くて何を歌っているかなんてまったく気にならなかったのだ。ゆったりとしたリズム、どこかのんきな。窓の外を流れる田舎道とあいまって、ものすごくご機嫌になってしまった。
歌詞は分からないけれど、「世界は素晴らしいな」って言っている気がした。きっとそんなこと歌ってないんだろうけれど、その音の並びとそのリズムは、世界を祝福しているようにわたしには思えたのだ。たとえば「ただ数を数えているだけ」だとしても「サイコパスによる大虐殺についての歌」だとしても、同じように聞き惚れてしまっただろう、そんな音楽だった。
数分間のご機嫌なドライブ。
人をご機嫌にできる曲は偉大だ。
ぜひともこの歌のタイトルを知りたい。曲が終わればラジオDJが教えてくれるはずだから、それを聞き逃さないよう彼と一緒に耳を澄ました。「お送りしたのは──」しかし走っているのは山の中の道で、電波が届きづらくときどき途切れてしまう。ちょうどそのときも言葉がザーザーいう雑音にまみれた。
「聞き逃した」
「もう一度聴きたかったのに」
がっかりながら、わたしたちはまたカーラジオから流れる次の曲を聴いたのだった。ラジオのいいところは知らない歌に出会えるところで、ラジオの残念なところはそのとき流れた歌にもう二度と出会えない可能性があることだ。
それからしばらくたっても、その曲のことが忘れられなかった。
きっと最近流行っている曲だろう、そう考えたわたしはUSA週間ヒットチャート番組をしばらく聞いてみた。しかしあの曲は流れなかった。アメリカじゃないのかも。世界のヒットチャートを聴いてみた。それでも流れなかった。
もう二度と出会えないのかなあの曲とは。
夢の中のあやふやな物語みたいに、わたしの中であの曲がどんどん心もとない存在になっていく。本当にあったんだろうかあの素敵な音楽は。実は存在しないんじゃないか。
そう思いはじめたある日、再び「あの曲」に出会えた。今度の出会いもカーラジオだった。慌てて窓を閉め音量をMAXに上げ耳を澄ます。今度は聞き取れた。アーティスト名はmabanua。名前まで不思議な音だ。どこの国の人か分からないまますぐに携帯で検索して、それが、日本のアーティストであることを知った。海外のヒットチャートで見つからないはずだ。
名前さえ手に入れられれば簡単だ。あとはいくらでもmabanuaの音楽が聴ける。
そしてあの曲のタイトルは「Coffee Excess」だということを知った。サイコパスの歌なんかじゃなく「やあ犬、最近どうだい?」と語りかける労働者の歌だった。ちょっとだけ世界への不満をぼやきながら、でも生きている人の歌。
小説家とエッセイスト 狗飼恭子 LINK
18歳のときに詩集「オレンジが歯にしみたから」(KADOKAWA)を上梓。その後、作家、脚本家として活動を始める。主な著作に小説「一緒に絶望いたしましょうか」、エッセイ「愛の病」(共に幻冬舎)などがある。また、主な脚本作品に映画「風の電話」(諏訪敦彦監督)、映画「ストロベリーショートケイクス」(矢崎仁司監督)、映画「百瀬、こっちを向いて。」(耶雲哉治監督)など。近作に、ドラマ「忘却のサチコ」「竹内涼真の撮休」「神木隆之介の撮休」や映画「エゴイスト」(松永大司監督)などがある。