【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第84回 まるでマカロニえんぴつみたいだね by 狗飼恭子
ESSAY / COLUMN
〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは狗飼恭子さんです。
家族がお風呂場でご機嫌に歌を歌っていた。
明るく嬉しそうなその声が洗面所にいたわたしのところにも聞こえてきたので、風呂場のガラス扉越しに、
「何の歌?」
と尋ねた。
「何の歌でもないよ。今思いついて歌ってる」
と家族は答えた。
「へえ、まるでマカロニえんぴつの歌みたいだね」
わたしが言うと、家族は「そう?」とまんざらでもなさそうに、曰くオリジナルの歌を続けた。
部屋に戻ってからふと考える。
「まるでマカロニえんぴつみたいな歌」ってどんな歌だろう。わたしは何をもってして、あの歌をマカロニえんぴつのようだという判断を下したのか?
わたしは評論家でもマニアでもないただの野良薄音楽好きなので間違っていたら適当に流してほしいのだが、マカロニえんぴつは多分、ジャパニーズポップロック、だと思う。昔は「下北沢っぽい」と評されたような。だからわたしには懐かしく耳心地よい。
それから恋の歌が多いような気がする。大人の男性ロックバンドで、こんなにずっと恋について歌ってくれているなんてありがたいが過ぎる。手の届かない壮大なる世界や比喩を多用した難解なものではなく、日々のすごく近くにある些細を懐かしさもある格好いいメロディに乗せる。それがマカロニえんぴつ「らしい」音楽なのかな。
閑話休題。
たぶん観た人類ほぼすべてがそう思っているだろうから公言するのも恥ずかしいが、わたしは「なんでもないよ、」のMVがものすごく好きなんである。人生で最も多く観たMVの一つかもしれない。
ストーリーは単純だ。
ある日、宇宙船が墜落する。その乗組員の男(演・柄本時生さん)が、会いたい人に会いに行く。それだけ。台詞は歌詞のないところにほんの少しだけ。なのに、状況と感情と行動原理がすべて理解できる(監督・横堀光範さん)。
そしてさらにこのMVのすごいところは、ボーカルのはっとりさんが柔らかく少し弱気に聞こえる声で
「何でもないよ」なんでもないよ、(※)
と歌っているときに、主人公の背景で宇宙船が爆発するのである。ぜんぜんなんでもなくないのである。
そしてこのMVのさらにさらにすごいところは、そんな内容なのに、たぶんハッピーエンドであるというところだ。いや、ハッピーエンドなのかは名言されないのだけれど、演じる柄本さんのラストカットの微笑みとはっとりさんの優しい声のおかげで、ああ、この乗組員の男はきっと大丈夫だ、と思える。エンドロールのあとの幸福を信じることができる真っすぐさがある。
「マカロニえんぴつみたい」って、そういうことなのかもしれないな、とあらためて考える。
懐かしく優しい恋の歌の後ろで何か大変なことが起こっていて(すべての人類にとって人生は大変だからね)、それでも、大丈夫なんだ、って心から信じられるようなそんな柔らかな強さを持つ歌声と曲(心から、っていうところが大事)。
つまり、マカロニえんぴつらしさとは誠実ってことなんだきっと。人生とか他人とか恋とか音楽とかに。
【注釈】
※マカロニえんぴつ「なんでもないよ、」(作詞:はっとり)より
小説家とエッセイスト 狗飼恭子 LINK
18歳のときに詩集「オレンジが歯にしみたから」(KADOKAWA)を上梓。その後、作家、脚本家として活動を始める。主な著作に小説「一緒に絶望いたしましょうか」、エッセイ「愛の病」(共に幻冬舎)などがある。また、主な脚本作品に映画「風の電話」(諏訪敦彦監督)、映画「ストロベリーショートケイクス」(矢崎仁司監督)、映画「百瀬、こっちを向いて。」(耶雲哉治監督)など。近作に、ドラマ「忘却のサチコ」「竹内涼真の撮休」「神木隆之介の撮休」や映画「エゴイスト」(松永大司監督)などがある。