【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第5回 それが私のすてきなゆめだった by akiko
ESSAY / COLUMN
〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターはジャズ・シンガーのakikoさんです。
私事で恐縮だが、今年でデビュー20周年を迎える。デビューしたのがVerveというジャズのレーベルだったので、必然的に私にはジャズシンガーという肩書きが与えられたが、むしろ私の音楽的ルーツはロックにある。10代の頃から当時新宿にあったミロスガレージの「ロカビリーナイト」や「ロンドンナイト」に通い、そこでロックンロールにパンクやスカ、ニューウェーブと多くの音楽やファッションに触れ、トーキョーカルチャーの洗礼を受けて育った。
だからいつか「Verveからロックのアルバムを出す」というのが、デビューしてからの私の夢だった。初めは誰も相手にしてくれなかったが、今よりずっと保守的だった当時のジャズ界に絶対的アンチ姿勢を示していた私はジャズシンガーの異端的存在意義を主張し続け、ついに2009年『HIT PARADE – LONDON NITE TRIBUTE』というロックアルバムを出すに至った。素晴らしいVerve作品は世界中に数多くあれど、ロックアルバムをVerveから出したアーティストはきっと私だけだろうと自負している。
ロンドンナイト・トリビュートというからにはまずは大貫憲章さんにスーパーバイザーになっていただき、高木完さんや須永辰緒さん、稲葉達哉さんや渡辺俊美さん等、ロンナイ縁のたくさんの先輩や仲間達に関わってもらった。アルバムタイトルはヒカルさんに、アートワークはアンダーカバーのジョニオさんにお願いした。そうしてロンドンナイトクラシックス、と呼ばれるロンナイの人気曲ばかりをカバーしたアルバムが完成した。
1曲、どうしても歌いたい曲があった。シーナ&ザ・ロケッツの“You May Dream”。アルバム中唯一の日本語曲であったこの曲のプロデュースを、小西康陽さんにお願いすることにした。すると小西さんは「鮎川さん、ギター弾いてくれないかな?」と言う。思ってもみないことだったので面食らったが、ダメ元で聞いてみよう、ということになった。
鮎川さんは、ありがたい話だがちょうど自分達のアルバムの制作と重なっていて参加が難しいと、丁寧な返事をくださった。残念だったが、「ライブを観に行くよ」とおっしゃってくださりその優しさに感動したのも束の間、そのリリースライブの日は私もよく知る彼らの友人の結婚式とぶつかっていることが判明し、仕方なく断念した。
しかしライブ当日、アンコールに用意していた“You May Dream”を歌おうとステージに戻ると、なんとシーナさんと鮎川さんが客席からステージに向かって歩いてくるではないか! 結婚式が終わってから駆けつけてきてくれたのだそうだ。そのままステージに上がっていただき、とは言え私のアレンジの“You May Dream”を演奏させるわけにもいかず、ただただステージ上で見守る二人を前に、嬉しさと恥ずかしさが入り混じった気持ちで精一杯歌った。
「綺麗な声ね」とライブ後、シーナさんがあのハスキーな声でおっしゃった。最後までロックンロールを貫いたシーナさんはキュートでセクシーでパワフルで、いつの時代の声だって、聴けば心が震える。
今振り返ると、鮎川さんはシーナさんのために私のレコーディングを断られたのかもしれない、なんて憶測をしてしまう。例えそうだったとしても傷つくどころか、むしろ温かい気持ちになる。あんなに最高で、あんなにカッコイイ夫婦、他にはいない。
昔はジャズセットのツアーで“You May Dream”が聴きたいとリクエストされると困り果てていたが、最近ではもうお構いなしに歌うようにしている。
私の永遠のロックスター。シーナさんはどんなジャズシンガーより、私の憧れの人だった。
ジャズシンガー akiko
2001年、名門ジャズレーベル「ヴァーヴ」初の日本人女性シンガーとしてユニバーサルミュージックよりデビュー。既存のジャズの枠に捕われない幅広い表現で現在までに23枚のアルバムを発表、国内外で活動を展開。今年6月、デビュー20周年を記念してウクレレ弾き語りアルバム『Ukulele Lady』をリリース。音楽性やファッション性のみならず、そのライフ・スタイルにも多く支持が集まる。