【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第35回 海峡も時代も超える石川さゆりがお好きでしょ by 渡辺祐
ESSAY / COLUMN
〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは渡辺祐さんです。
石川さゆりは、これまでに何回ぐらい「津軽海峡・冬景色」を歌ってきたのかしらん。なにしろ、リリースは1977年(昭和54年)の1月1日、さゆりさん18歳と11ヵ月であります。ひええ。それからおよそ46年。仮に年間20回ぐらい歌ったとして、たぶん千回超え。いや、もっとなんだろうなあ。紅白歌合戦でここのところ「津軽海峡」と交互に歌われる1986年リリースの「天城越え」も然り。天城や海峡だけでなく、いろいろ超えている。石川さゆりさんに持ち歌が何曲あるのかわかりませんが、シングルだけで125枚ぐらいあるみたいなので、それだけでAB面合わせれば250曲? ひええ。セットリストを考えるだけでひと苦労だ(余計なお世話だ)。
そのセットリストの中に「津軽海峡・冬景色」や「天城越え」を入れないわけにいきません。これは大ヒット曲、名曲を持つシンガー、バンドの宿命で、さゆりさんだけの話ではありませんが、職業=歌手として時代を生き続け、歌い続けるということの凄味を感じざるを得ないというものであります。
そう思って聴き直してみると、19歳になろうとする石川さゆりさんの歌いっぷりに驚きます。そこから40年以上歌い込んだ進化や深化があるとしても、情緒というか情感というか、その具合はもうリリース時から揺るがぬ仕上がり。しかも、「津軽海峡を渡る青函連絡船」を知る人も少なくなってきたこの時代にも海峡の冬景色が見えてくる、ような気になる。青函連絡船があるとかないとか、もうそこも超えている。かく言う筆者(64歳)も乗ったことがないんですけど、若い人に話すときに「乗ったことがあるフリ」ができそうなぐらいです。おじいさんの話には気をつけた方がいいぞ。
この曲、その情緒こそがキモであります。歌詞を読み返せば、1番は、ほぼ情景&状況描写だけ。2番の途中で「私」が出てくるまで、上野駅から函館に向かう移動の描写がメイン。しかも、「小説調」とでも申しましょうか、作詞家の阿久悠さんが言い切り歌い切りの言葉とした「津軽海峡冬景色」が、そもそも日常語じゃないですからね。18歳の女性が、目の前の海峡を見つめて「ああ津軽海峡冬景色」というワードを心に浮かべたとすれば、そうとうな言葉の使い手です。詩人です。
そんな五七調文語調の「津軽海峡冬景色」に、聴く人の思いをのせてしまう。その重要な加速装置が、その直前に来るさゆりさんの「あぁあぁぁ」です。詠嘆です。つまり情緒です。乗ったこともない青函連絡船の情緒が迫ってくる、このニュアンスこそ、石川さゆりでなければ成しえなかった名曲誕生の秘密のような気がする。歌がうまいというのはそういうことでしょう。うまさを正確な音程やリズム感の数値で計ろうとする、その前に。
ちなみに情景&状況描写しかしていないのに思いが染み出す、という意味では、山口洋子作詞の「よこはまたそがれ」も白眉であります。「ホテルの小部屋」「くちづけ」「残り香」「煙草のけむり」って歌詞の半分が名詞の羅列なのにカナシミが滲み出る。傑作です。シンガー・ソングライターの曲としては、荒井(松任谷)由実「中央フリーウェイ」の前半も近いモノがある。あと、「アジアの純真」とか。
時代を経て周りを見渡してみると、この情景状況描写に情緒を託すという作詞のお作法は、どうも流行ってません(筆者が不勉強なだけかもしれませんが)。いわゆる職業作家の時代からシンガー・ソングライターの時代へと移ってきたことで「情緒からメッセージへ」というような風が吹いて現在に至る、なのか。たしかにマッチングアプリの時代に「よこはまたそがれ」は似合わないか……。
というようなことを考えながら、2023年の紅白で石川さゆりはどっちを歌うのか、いやまさかの別曲か、と思いを馳せる晩酌中のおじさん1名(BGMは「ウイスキーが、お好きでしょ」)。順番通りなら「津軽海峡・冬景色」です。
編集者、DJ 渡辺 祐
1959年神奈川県出身。編集プロダクション、ドゥ・ザ・モンキーの代表も務めるエディター。自称「街の陽気な編集者」。1980年代に雑誌「宝島」編集部を経て独立。以来、音楽、カルチャー全般を中心に守備範囲の広い編集・執筆を続けている。現在はFM局J-WAVEの土曜午前の番組『Radio DONUTS』ではナヴィゲーターも担当中。