【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第33回 ナンセンス詩のさらに上をゆく文化教材 by 青野賢一

ESSAY / COLUMN

〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは青野賢一さんです。 

 ナンセンス詩というものをご存じだろうか。有名なところだと19世紀イギリスの詩人、画家、エドワード・リアの『ナンセンスの絵本』のリメリック(5行詩)。「aabba」形式の脚韻詩(5行のうち1行目と2行目、5行目で脚韻、3行目と4行目で脚韻)は、さながら現代のラップのようであるが、その5行でなにかを訴えているわけではないところにおかしみがある。また、リアに少なからず影響を受けたとされるルイス・キャロルの作品もナンセンス詩を含むナンセンス文学として知られている。合成語を用いて「流通言語の破壊による新しい言語秩序の再生、生真面目な流通言語の専制の側からではなく、語の遊戯性、語のナンセンスの側からの、流通言語にたいする反乱」(種村季弘著、筑摩書房刊『ナンセンス詩人の肖像』所収「どもりの少女誘拐者」)を試みたような『鏡の国のアリス』のなかの「ジャバウォックの詩」はその最たるものだろう。もう少し時代が下ると、ダダの創始者のひとり、詩人のフーゴ・バルは言葉を「意味のあるもの」でなく「音の響き」として綴る「音響詩」を発表。このなかのひとつ《Gadji beri bimba》がトーキング・ヘッズの「I Zimbra」の歌詞に引用されているのは有名である。

 

 

 いきなりナンセンス詩の話で面食らった方も多いと思うが、水曜日のカンパネラの楽曲を聴くと、わたしはいつもナンセンス詩のことを考えてしまう。しかしながら、先に記したナンセンス詩の面白さ――言葉あそびや意味の徹底的な放棄など――にとどまらず、歌詞に内容や物語性が備わっているのが水曜日のカンパネラの独自性であり魅力のひとつであるのは間違いのないところだろう。「赤ずきん」や「織姫」、あるいは「桃太郎」、「マッチ売りの少女」といったお伽話、民話に想を得た(そしてタイトルにもそれをそのまま使っている)楽曲、「エジソン」、「卑弥呼」、「一休さん」などの人物を歌った作品、宮殿かと思いきや世田谷区給田を歌っている「バッキンガム」というように、そもそも選ばれる題材からしてユニークだ。

 

 

 こうした独特な歌詞の世界とほとんど寄り添わずに展開されてゆくトラックはケンモチヒデフミの手になるもの。かつてはNujabesの「Hydeout Productions」からアルバムをリリースし、またクラブ・ミュージックからの影響を受けつつも、それに固執することなく自身が新鮮に感じるビート感を貪欲に取り入れる氏の作風とくだんの歌詞が組み合わさることで、奇妙な味わい、中毒性のある楽曲に仕上がっているといえるだろう。シュルレアリスムのアプローチのひとつである「デペイズマン」(事物を本来の文脈から切り離し別の文脈に置くことで異化効果を生む手法)さながら、お伽話や過去の物語、歴史上の人物は現代のビートにのって踊りはじめる――これが水曜日のカンパネラなのである。

 こうした音楽において、ラップを含む歌詞は明瞭に伝えられなければ面白さは半減してしまうのだが、二代目歌唱担当の詩羽(うたは)の芯があって淀みない声や表現力は水曜日のカンパネラの音楽に最適であるように思う。いわゆる歌いあげ系でないそのボーカルは、いい意味で軽さがありトラックの躍動感をさらに引き立てている。2021年に詩羽が加入して最初に発表された2曲、「バッキンガム」と「アリス」を初めて聴いたとき、それまで培われてきた水曜日のカンパネラの世界が次なる次元に踏み出したと驚いたものである。先の2曲のうち、「アリス」はルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』がモチーフになっているのだが、「大きくなったり小さくもなったり 夢の中ぐらい自由で無邪気にいさせてよ」という一節が新型コロナウイルスの感染状況が予断を許さないなか、とても響いてゾクッとしたのをよく覚えている。安っぽい「エモさ」が量産されてインフレ状態の日本のポピュラー・ミュージックにおいて、こうした表現ができるアーティストはそう多くはないだろう。曲の題材を損なうことなく現代の文化風俗と接続し、その歌詞世界と絶妙な距離感を保つトラックにのせて聴き手の心に訴えかける――こう考えると、水曜日のカンパネラの音楽はさまざまな文化への関心をかき立てる教材ともいえそうだ。

 

 

 

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ライター 青野賢一 LINK

1968年東京生まれ。
ビームスにてPR、クリエイティブディレクター、音楽部門〈ビームス レコーズ〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。
現在は、ファッション、音楽、映画、文学、美術などを横断的に論じる文筆家としてさまざまな媒体に寄稿している。2022年7月には書籍『音楽とファッション 6つの現代的視点』(リットーミュージック)を上梓した。