【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第30回 “プロフェッショナル・リスナー”のコンパイラー人生30年 by 青野賢一

ESSAY / COLUMN

〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは青野賢一さんです。 

 選曲家、DJ、編集者で渋谷の「カフェ・アプレミディ」のオーナーでもある橋本徹がこのたびコンパイラー人生30周年を迎えた。最初に手がけたコンピレーション作品『’Tis Blue Drops; A Sense Of Suburbia Sweet』の発売が1992年10月。これを皮切りにイタリアン・サントラや〈A&M〉界隈のソフト・ロックなどの旧譜リイシューの監修を受け持ち、1994年4月、のちに氏の代名詞となる「Free Soul」シリーズがスタートする。以後、同シリーズのほか、渋谷・公園通りに1999年にオープンした「カフェ・アプレミディ」(現在は渋谷・ファイヤー通りに移転)の名を冠したコンピレーション・シリーズや、2000年代からのヒップホップとジャズの邂逅と呼応するような「Mellow Beats」シリーズ、「Jazz Supreme」シリーズなど、現在までさまざまな切り口で良質な音楽をリスナーに届けてきた(加えていうと1996年4月から1999年春まで『bounce』の編集長でもあった)。

 オルタナティヴが期せずしてメイン・ストリームに近づいてしまったとき、その大きな流れに飲み込まれてしまうか、それともアイデンティティを保持しながら新たな道を切り拓くのかは大いに頭を悩ませるところである。氏にあっては、長い選曲家生活において「Free Soul」という存在がポピュラーになったおかげで、まわりが求めるものと自身の興味の対象との乖離に戸惑ったこともあったという。旧来の評論家的視点から善し悪しを決めて選ぶのでなく、あくまでも「気分」や「ムード」を重視しつつ極めてパーソナルな「好き」を集めて世界をつくるような、ある種のオルタナティヴともいえる氏の音楽的嗜好の集大成たるコンピレーション・アルバムが、流行という時代の大波に飲まれそうになったときにも氏は彼に備わった審美眼でもって新たな音楽をコンピレーションというかたちで提案し続けてきた。こうして文章にするのはたやすいが、実際に行うことは並大抵の努力でないことは明らかだろう。それをさらりとスマートにやってしまうところに橋本徹の美意識を感じずにはおけない。

 2008年に出版された橋本徹の著書『公園通りに吹く風は』(吉本宏共著、アプレミディ・ライブラリー刊)で、氏はこう述べている。「僕は自分ではずっと、コンピでもパーティーでも、敷居は低く奥は深く、ポップな輝きとスピリチュアルな信頼の両立・同居みたいなところを大切にしてきたような気がしています」。これは「フリー・ソウルと過ごしてきた時間を振り返ってみて、どんな思いを抱きますか」という問いに対する返答の最初の部分なのだが、今年2月に〈P-Vine〉からリリースされたコンパイラー人生30周年記念コンピレーション『Blessing』――このアルバムのジャケット・アートワークはコンパイラーとして最初の作品である『’Tis Blue Drops; A Sense Of Suburbia Sweet』のそれを引用、再構築したものだ――のブックレットでは、自身の30年の歩みについて「やっていることはずっと同じ」としたうえで「自分の好きなものの魅力を分かち合いたいという気持ちが常に衝動の源泉になっていて、それを形にしていく中でどういう風に表現したら共感してくれる人が増えるかなということを常に考えていますね」と語っている。どうだろう、このブレのなさは。

 2000年代に入ってから、わたしは氏とご一緒するDJの現場が増え、一緒にレギュラーを務めたこともたびたびだが、その際に気を配っているのは、先に引いた「自分の好きなものの魅力を分かち合いたいという気持ち」をどれだけいい音環境でプレゼンテーションし、リスナーに伝わるようにできるかということである。そんなふうにして共に作り上げた現場で氏の選曲を聴くたび、「アマチュアイズムを忘れない、プロフェッショナル・リスナーだな」と感心し、嬉しくなってしまうのだ。

 橋本さん、コンパイラー人生30周年、本当におめでとうございます。

 

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ライター 青野賢一 LINK

1968年東京生まれ。
ビームスにてPR、クリエイティブディレクター、音楽部門〈ビームス レコーズ〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。
現在は、ファッション、音楽、映画、文学、美術などを横断的に論じる文筆家としてさまざまな媒体に寄稿している。2022年7月には書籍『音楽とファッション 6つの現代的視点』(リットーミュージック)を上梓した。