【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第12回 T字路sの鐘が鳴る。あなたに会えてよかった。 by 渡辺祐
ESSAY / COLUMN
〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターも渡辺祐さんです。
「前を向いた人」が多いのであります。この停滞した時代にあって、そんなことないだろうとおっしゃるかもしれませんが、J-Popの歌詞の話です。震災、豪雨、コロナ禍、そして少子高齢化(など)とパンチの嵐が襲いかかる中、だからこそなのか、歌は「前向き」なのです。バンドやシンガー・ソングライター、そしてアイドル。程度の問題はあれど「前を向いて歩こう」派多し。
そもそも「後ろ向きの歌」というのがあるのか、ですか? いや、あるんですよ。ありましたね、特に昭和の頃。歌謡曲には「死んでしまいたい」「私の人生暗かった」なんていうフレーズがフツーにありました。子供の頃からムード歌謡なぞを好んでいた筆者ですが、惹かれながらも「暗いなあ」と思ったものです。70年代もフォークには暗い歌があったし、バブルにうっかり浮かれてた80年代には「ホテルで会ってホテルで別れる」ような不倫ソングもうっかり大量発生。歌の世界は(映画もですが)「光あるところに影がある」を知っていたのでしょう。作詞家の阿久悠さんやなかにし礼さんのチカラも大きいか。
個人的にそんな「後ろ向きの歌」の得も言われぬ魅力に目覚めたのは、憂歌団との出会いであります。世間的な売れ行きは置いておいて、当時高校生のワタシの中では大ヒット。日本語ですが、なにせブルースです。“10ドルの恋”では、愛しい人に「ちょっとのお金」を渡さないと会えない男のつぶやきを歌い、“シカゴ・バウンド”では、死にたくても「ピストルも買えねえ」という男の嘆きを歌っていらっしゃる。心のベストテン1位はそんな曲だった。でも、メンバーのキャラクターも相まって真っ暗な感じもしない。後ろ向きなのに強い。なんだろう、この「挫けてなお生きる」という姿の痛いほどの凄味と妙な魅力は。思えば石井隆やつげ忠男の漫画もよく読んでたなあ。……と書きましたが、当時、そのことを深く考えてもなかったですね、ヤングなワタシ。
ところがそれから幾星霜、「借金」をもポップスにしたクレイジーケンバンドの“俺の話を聞け”あたりでその記憶が呼び覚まされていたところに、さらなる「挫けてなお生きる」の凄味のパーンチ。それがT字路sの登場。正直、驚きました。伊東妙子さんのヴォーカル・スタイルへの直球な驚きと共に。還暦間近にもなって、こんなワタシ好みなグループとの僥倖のあろうことかと。
誤解されるといけませんが、T字路sの歌は「前向き」なのです。ストレートに日々の喜びを歌った愉快な曲も多いし、挫折や後悔に満ち満ちた人生を感じさせるフレーズの後で「いざさらば」と荒野を目指したりする。歩き出す。旅に出る。前は向いている。でも、そこには「勝ってないヤツ」の姿が見える。曲の中の向かい風が強い。ブルーは複数形だ。
勝者の物語は語られます。成功譚と「成功したい人向け譚」が書店に溢れている。時代に挫けたくない人ばかりだ(当たり前だけど)。しかし、挫けたあとの方が長いんじゃなかろうか人生百年。きっと多くの大人が感じているよね「後ろ向きな前向き感」。それを支えるものはなんだろうと自問自答してみれば、後悔している当人に残された「いくばくかの魂(ソウル)」じゃないかとにらんでいるのであります。T字路sのフレーズを借りれば、伏せていた顔を上げれば、心は確かだ。影あるところに光あり。
さてと。『仁義なき戦い』でも観なおそうかな。
編集者、DJ 渡辺 祐
1959年神奈川県出身。編集プロダクション、ドゥ・ザ・モンキーの代表も務めるエディター。自称「街の陽気な編集者」。1980年代に雑誌「宝島」編集部を経て独立。以来、音楽、カルチャー全般を中心に守備範囲の広い編集・執筆を続けている。現在はFM局J-WAVEの土曜午前の番組『Radio DONUTS』ではナヴィゲーターも担当中。