【ポップの羅針盤】第9回 ポップスターの敗北とポッドキャスターの勝利 by 柴 那典
ESSAY / COLUMN
2024年11月、米大統領選でドナルド・トランプが勝利した。
その結果が報じられた日、ビリー・アイリッシュは、インスタグラムのストーリーズに、黒い背景と共に「It’s a war on women(これは女性に対する戦争です)」というメッセージを投稿した。それまでビリーは民主党のカマラ・ハリス副大統領を大統領候補として積極的に支援してきた。投票数日前に行われたアトランタの公演ではライブを一時中断してハリスに投票するよう呼びかける姿もあった。
ビリー・アイリッシュだけではない。多くのセレブリティやポップスターがカマラ・ハリスへの支持を表明していた。ビヨンセやミーガン・ジー・スタリオンは民主党の選挙集会のステージに立った。テイラー・スウィフト、レディー・ガガ、アリアナ・グランデ、オリヴィア・ロドリゴは、ソーシャルメディアで自身の意見を投稿した。
もちろんキッド・ロックやジェイソン・アルディーンなどトランプをサポートしていたミュージシャンもいる。しかしポップスターの多くはハリス支持だった。トランプ陣営が楽曲を使用しないよう訴えるミュージシャンも多数いた。
だから、今回の結果は、セレブリティやポップスターにとっての政治的な「敗北」である。そう率直に捉えるべきだと僕は思う。2016年もそうだったし、今回もそう。しかも投票前には大接戦だとメディアに喧伝されていたにもかかわらず、フタを開けてみればトランプの圧勝だ。7つの激戦州では全て勝利。全体の得票数も200万超の差をつけた。
調査では前回の大統領選でバイデンを勝利に導いたとされるZ世代の票が多くトランプに流れたことが示された。特に男女の投票行動の違いが大きかった。女性の多くがハリスを支持した一方、若い世代の男性は大差でトランプを支持していた。
若者に影響をおよぼすことができなかった。そういう意味においても今回の大統領選の結果が象徴するのは「ポップカルチャーの敗北」と言っていいだろう。音楽だけではない。ハリウッドも含むエンターテインメント業界全体の趨勢がカマラ・ハリス支持だった。多くのセレブリティがソーシャルメディアで投票を呼びかけた。映画『アベンジャーズ』出演俳優がオンラインで集結し、スカーレット・ヨハンソンが「特に若い世代に投票に参加してほしい」とコメントしたようなこともあった。けれど、その声は、結果的に若い世代の男性には訴求しなかった。ひょっとしたら逆効果だったとすら言えるかもしれない。エスタブリッシュメント、すなわち鼻持ちならない既得権益層とみなされて嫌厭された可能性もある。
では、何が勝ったのか? どんなカルチャーがトランプを再選に押し上げたのか。
それは「ポッドキャスターの勝利」だ。さまざまなメディアがそう論じている。大統領選の結果が象徴するのはメディアの力学の変化だ。現在のアメリカにおいて、テレビや新聞などのオールドメディアは力を失い、その代わりに、オンライン・インフルエンサーによるポッドキャスト番組が主流メディアの一つとして台頭している。その影響力が強く働いたということだ。
その代表的な存在がジョー・ローガン。彼が運営する「The Joe Rogan Experience」はSpotifyで最もフォロワーの多いポッドキャスト番組で、フォロワー数は2024年3月時点で1450万人。2位の「TED Talks Daiy」の3倍強という圧倒的な数字だ。投票直前にトランプはその番組に出演し、3時間にわたるトークは5000万回以上の再生回数を記録した。
トランプは他にもローガン・ポール、エイディン・ロス、テオ・ヴォーン、ネルク・ボーイズなどのポッドキャストに立て続けに出演している。いずれも、若い男性に強い影響力を持つインフルエンサーだ。プラットフォームはSpotifyだけではない。YouTubeチャンネルのビデオポッドキャスト番組も多くの再生回数を記録し、その切り抜き動画がソーシャルメディアで拡散されている。
こうしたポッドキャスト番組が「マノスフィア」という文化圏を形成しているという指摘もある。マノスフィア(Manosphere)とは「男の世界」という意味。男性を中心にしたオンライン・コミュニティのネットワークだ。
もちろん、全てのポッドキャスト番組がマノスフィアの文化圏の範疇にあるわけではない。カマラ・ハリスが出演した「Call Her Daddy」など女性リスナー中心の番組もある。しかし、前述した人気番組を運営するインフルエンサーの多くが男性主義的な考えを持つと言われている。そして、たとえばコンピューター科学者のレックス・フリードマンのポッドキャスト番組が人気を博しているように、ポッドキャスターの文化圏はイーロン・マスクが代表する現在のテック・カルチャーとも深く結びついている。
そして、ここが大きなポイントなのだが、少なくともSpotifyというプラットフォームにおいて、音楽とポッドキャストは直接的な競合関係にある。トークと曲のどちらを聴くか、どちらに耳を傾けるか、日々ユーザーはアプリの中で選択しているわけなのだから。
振り返れば、アメリカのポップ・ミュージックのシーンでは、ここ数年、女性の躍進が続いてきた。主要4部門を女性アーティストが独占した2024年のグラミー賞はその象徴だろう。その一方で、大統領選の結果は、ポッドキャスターが牽引する「マノスフィアの勝利」となった。
ここまでの状況を踏まえて考えると、ビリー・アイリッシュがポストした「It’s a war on women」という言葉には、とても大きな意味合いがあると考えざるを得ない。我々はカルチャーと社会、そしてメディアの生態系の大きな転換点を目撃しているのだと思う。
音楽ジャーナリスト 柴 那典(しば・とものり) LINK
1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオ出演など幅広く活動する。著書に『平成のヒット曲』(新潮新書)、『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『ボカロソングガイド名曲100選』(星海社新書)、『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。ブログ「日々の音色とことば」
Twitter:@shiba710 /note : https://note.com/shiba710/