【ポップの羅針盤】第3回 生成AIはエスケーピズムの夢を見るか by 柴 那典

ESSAY / COLUMN

ぐにゃりと景色がゆがむ。まるで悪夢のようだ、と最初は思った。

でも、何度か繰り返して観るうちに、だんだんと惹き込まれるような感覚があった。

ウォッシュト・アウトによる5作目のアルバム『ノーツ・フロム・ア・クワイエット・ライフ』からのリード・シングル「The Hardest Part」のミュージックビデオ。およそ4分の映像は一組のカップルの人生を映し出す。


舞台はおそらくアメリカの片田舎。80年代のハイスクールでの出会いから、パーティー、ドライブ、そして幸せな結婚。二人の間にはやがて子供が生まれ、しかし悲しい別れが訪れる。数十年の時間を圧縮するかのようにズームし続ける映像には、たびたび、奇妙なもの、不気味なものが映し出される。まるでコピペしたかのように増殖する車の座席。燃え上がる炎を抜けて延々と続く狭い通路。病床を移動するストレッチャー。墓の上をたなびくシーツと空を飛ぶ車。なんだろう、これは。


ビデオはOpenAIが発表したテキストから動画生成を行うツール「Sora」を用いて制作された。監督はポール・トリロ。彼はこんな風にコメントしている。


AIの超現実的で幻覚的な側面は、夢にも思わなかったような新しいアイデアを探求し、発見することを可能にする。AIを使って現実を再現するだけではつまらない。僕はリアリズムではなく、超現実的なものを撮ることに興味があった。さまざまなシーンが流動的に混ざり合い、融合していく様子は、私たちが夢の中を移動する方法や記憶の混濁に似ているように感じる。このようなやり方は、モノの作り方に取って代わるものだと感じる人もいるかもしれないが、僕は、そうでなければ決して作れなかったアイデアを補うものだと考えている」

ウォッシュト・アウトことアーネスト・グリーンは「“The Hardest Part”はノスタルジアと失われた愛についての物語だ。この物語を伝えるべく、真摯な方法で、エキサイティングで意外性のあるビデオを作りたかった」と語っている。


こんな時代になったんだ。最初はそう思った。生成AIはついにテキストプロンプトからミュージックビデオの映像を生み出せるようになった。今は驚いているけれど、たぶん、あっという間に当たり前のことになるだろう。


音楽制作においても、AIはもはや大きな位置を占めるようになった。たとえばビートルズの「ナウ・アンド・ゼン」で録音されたテープからジョン・レノンの歌声を抽出したように、音響処理の分野においては、もはやAIのプラグインは普及段階にある。


そして「Suno AI」や「Udio」や「SOUNDRAW」などテキストプロンプトから音楽を生成するサービスも次々と生まれている。ジャンルや曲のテイスト、歌詞のモチーフなどを設定して「Create」ボタンを押すと、数十秒の後に楽曲が生み出される。そういう風にしてAIが自動で生成した大量の楽曲が、すでに音楽ストリーミングサービスで配信されていたりもする。


この先、どうなっていくんだろう。


イメージすること。思い浮かべること。それが創造性にとっての残されたフロンティアになるのだろうか。


ベッドルーム・ミュージシャンとしてキャリアをスタートさせたウォッシュト・アウトは、脚光を浴びた2009年のデビューEP『ライフ・オブ・レジャー』から、繰り返し「ここではないどこか」への憧憬、ノスタルジーの感傷を鳴らし続けてきた。作品を重ねるごとに音楽性は変転し、彼が初期に括られた「チルウェイヴ」というジャンル名はとっくに色褪せたものになったけれど、甘美なエスケーピズムを貫くその精神性はずっと変わらなかった。


「何より辛いのは、もう戻れないということ」


“The Hardest Part”
ではこう歌われる。楽曲がテーマにしているのは喪失だ。軽やかなシンセポップの曲調に乗せて、ひかえめな歌声が、心から愛する人との死別の物語を歌う。そのことに気付いてからミュージックビデオを丹念に観ると、Soraを用いて作られたというテクノロジー的な話題性や、パッと見た時の不気味さの向こう側にある、本質的なことに気付く。無限にズームしていく映像は、最後に巻き戻って「大切な伴侶を失ってしまった女性」の追憶の視点だったことが明かされる。


生成AIが生み出すハルシネーション=幻覚と、夢の中でフラッシュバック的にあらわれる幸せな記憶が重ね合わされている。そういう類の美しさがある。


この先、どうなっていくんだろう。


僕にはわからない。向かっている先がユートピアなのかディストピアなのか判断がつかない。けれど、強い予感はある。「人間とは何か?」という問いに、誰もがこれまで以上に向き合わざるを得なくなるだろうということ。そして、多くの人が、そんな面倒くさいことを考えることを早々に手放すだろう、ということ。


おそらく、この先、知性や創造性というものは、誰か特定の個人に内在するものというより、コモディティ的に偏在するものという認識が少しずつ一般的になっていくだろう。


そうなった未来に、人はどんなことを夢想するだろうか。エスケーピズムの逃避先はどこに残されているだろうか。

Official Video



■Washed Out『Notes From A Quiet Life』
詳しくはTOWER RECORDS ONLINEまで



profile_img

音楽ジャーナリスト 柴 那典(しば・とものり) LINK

1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオ出演など幅広く活動する。著書に『平成のヒット曲』(新潮新書)、『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『ボカロソングガイド名曲100選』(星海社新書)、『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。ブログ「日々の音色とことば」 
Twitter@shiba710 /note : https://note.com/shiba710/