【ポップの羅針盤】第20回 ロザリアと藤井 風、聖なるものへの希求 by 柴 那典

ESSAY / COLUMN

「神は降り、私は昇る。私たちはその中間で出会う」。

ロザリアの新作アルバム『Lux』は2025年を代表する一枚になったと思う。各所で絶賛を集めている。僕も都内某所で行われたリスニングイベントで最初に聴いたときに電撃が走るような体感があった。それから何度も繰り返し聴いている。それまでの路線とは一転し、オーケストラや合唱と先鋭的なビートを融合させたアート・ポップとしてのサウンドと共に、荘厳でスピリチュアルなインナートリップを描く作品。テーマは「神聖」と「霊性」。一貫して神や超越的なものとの邂逅について歌っている。自身の葬儀の光景を描いたラストの「Magnolias」にはこんな歌詞もある。

 

Dios desciende y yo asciendo

Nos encontramos en el medio

(神は降り、私は昇る。私たちはその中間で出会う)

RosalíaMagnolias」より

 

このラインが何より印象的だったけれど、アルバムを聴いて感じたのは、「垂直」のモチーフだった。歌詞には「神」という言葉が繰り返し出てくる。ザ・ウィークエンドとの「LA FAMA」を筆頭にラテンの妖艶なグルーヴに乗せて愛と官能を歌ってきた前作『MOTOMAMI』までのロザリアにはない発想だ。ビョークとイヴ・トゥモアを迎えた本作の「Berghain」には、「divine intervention」(=神の介入)という言葉が繰り返し歌われている。上昇(=祈り)と降臨(=介入)が交錯する垂直のドラマこそが、本作の心臓部だ。

アルバムは女性聖人をテーマにした四部構成で、ひとつのストーリーを感じさせるコンセプチュアルな作品になっている。そして「旅」のモチーフもある。たとえば「Reliquia」では、ヘレス、バルセロナ、ローマ、パリなど世界各国の都市が綴られる。その中には日本もある。

 

En Japón lloré, y mis pestañas deshilé.

(日本では泣いて、まつげが抜け落ちた)

RosalíaReliquia」より

 

歌詞にはラテン語・ヘブライ語・アラビア語を含めた全13言語を用いられている。このことからもわかるように、ロザリアはかなり意図的に「多文化・多言語・多宗教的な表現」を突き詰めている。アルバムで祈りを捧げる「神」は、決して特定の宗教や信仰の対象と結びつくものではない。むしろイメージはあえて分散している。「Porcelana」では日本の禅尼・了然元総、「La Yugular」ではイスラームのスーフィー聖女・ラービア・アル=アダウィーヤなど、複数の女性聖者が示唆される。カトリック、正教会、ユダヤ教、ヒンドゥー、道教などを横断し、そのことによって「聖なるものへの希求」という感覚を抽出している。

 

SBNR」という言葉がある。「Spiritual But Not Religious(無宗教型スピリチュアル)」という概念を表す言葉だ。宗教的ではないが神秘的。その感覚は、個人が信じられる心の豊かさや拠り所を示すものとして、近年、大きくクローズアップされている。

 

SBNR」という価値観は、信仰ではなく、ライフスタイルにまつわる言葉として浸透している。それと共に、かつては「オカルト」という言葉で忌避的なイメージと共に語られてきたスピリチュアリズムが、「マインドフルネス」や「ウェルビーイング」に隣接するポジティブなイメージのもとに再編されつつあるのが現在の文化事象だ。

 

たとえば抽象絵画の先駆者、ヒルマ・アフ・クリントの再評価にもそうした背景がある。クリントは目に見えない霊的な存在に導かれること、そこからの啓示を受信することに、人生をまるごと懸けたような画家だった。1944年に死去し長らく日の目を見ることがなかったその作品群は、2018年から2019年にかけてNYのグッゲンハイム美術館で開催された回顧展をきっかけに世界的なムーブメントを巻き起こしている。

 

ロザリアの新作が絶賛を集めているのも、こうした「SBNR」の広がりと無縁ではないだろう。

 

そして、この「SBNR」の感覚をJ-POPのフィールドで自然体の表現として歌ってきたのが、藤井 風だ。その世界観はデビュー曲の「何なんw」から一貫している。楽曲のリリースと同時期に自身のYouTubeチャンネルに投稿したその解説動画では、一人ひとりの中の「ハイヤーセルフ」という存在について言及している。ハイヤーセルフとは、エゴや嫉妬などネガティヴな感覚を脱し、人生が善い方向に進むよう語りかけてくる存在のこと。その言葉は、現在に至るまでの彼の歌詞概念を理解するうえでの重要なキーワードになっている。

 

最新アルバム『Prema』の表題曲も、ハイヤーセルフをテーマにした曲だ。「Prema」とはサンスクリット語で「至高の愛」という意味を持つ言葉。歌詞にはこう歌われる。

 

Prema

Can’t u see that u are god itself

You are god itself

(プレマ/あなたは神そのものだと分からないのか/あなたは神そのものだ)

藤井風「Prema」より

 

歌詞の最後のリフレインでは「u」を「I」と変えて歌われる。二人称から一人称へ。ここに藤井風のスピリチュアルの核心がある。救いは外から与えられるものではなく、自身のうちにある。

 

アルバムの音楽性が80年代のソウル・ミュージックやポップスに基づいたものになっているのも、ちゃんと理由がある。全編が英語詞で綴られた作風は、藤井風自身の幼少期のルーツと結びついている。

 

ロザリアは多言語的な表現と垂直ベクトルの発想で「超越」を志向した。その一方で、藤井 風は優しく包み込むような手触りと共に「内在」を歌う。

 

どちらにも強く心惹かれる。

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音楽ジャーナリスト 柴 那典(しば・とものり) LINK

1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオ出演など幅広く活動する。著書に『平成のヒット曲』(新潮新書)、『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『ボカロソングガイド名曲100選』(星海社新書)、『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。ブログ「日々の音色とことば」 
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