【ポップの羅針盤】第12回 DEIとトランプ、グラミー賞とスーパーボウルの“文化戦争” by 柴 那典
ESSAY / COLUMN
アメリカは今、これまでとは異なる領域に足を踏み入れようとしている。
政治の変化とともに、社会の価値観を支える力学が変わりつつある。カルチャーやエンタテインメントは、その変化に直面している。これまでの続きではなく、新しい状況に真っ向から向き合っている。そういうことをグラミー賞とスーパーボウルから感じた。
第67回グラミー賞授賞式は、現地時間の2月2日に米ロサンゼルスで開催された。その主役となったのはビヨンセだ。アルバム『COWBOY CARTER』で「年間最優秀アルバム賞」を含む3部門を受賞。特に「年間最優秀アルバム賞」はこれまで何度もノミネートされながら受賞を逃してきたビヨンセにとって悲願の快挙になった。また同作は、黒人女性アーティストとして初となる「最優秀カントリー・アルバム賞」も受賞した。発表された瞬間、ビヨンセの表情は素直に驚きを隠せなかったように見えた。本当に意外だったのだろう。
背景には、グラミー賞自体の変革があった。中盤では賞を主催するレコーディング・アカデミーの会長がスピーチし、女性や有色人種の投票者を増やし、若い世代のメンバーを増やして組織の変革に取り組んできた経緯を告げる場面もあった。その直後には選考の不透明さを訴えてグラミーへの参加自体をボイコットしてきたザ・ウィークエンドがサプライズでパフォーマンスする場面もあった。ここ10年近くずっと、保守的だ、白人アーティストに有利だと批判を集めてきたグラミー賞のあり方が大きく変わったことを印象づける瞬間だった。
グラミー賞のもう一人の主役となったのは、「Not Like Us」で「年間最優秀レコード賞」「年間最優秀楽曲賞」を含む最多5部門を受賞したケンドリック・ラマー。その翌週2月9日(日本時間10日)に開催された「第59回NFLスーパーボウル」のハーフタイムショーはさらに大きなインパクトをもたらすものだった。単なるスポーツの祭典という枠組みを超えた、アメリカ最大のメディアイベントであるスーパーボウル。ケンドリック・ラマーが黒人ラッパーとして初めて単独でヘッドライナーをつとめた今回のハーフタイムショーは1億3350万人という史上最多の視聴者数を記録した。
パフォーマンスは、アメリカ合衆国政府を擬人化したアンクル・サムのキャラクターに扮したサミュエル・L・ジャクソンの司会で始まった。自らも黒人でありながら「黒人らしさ」を抑制して大衆向けの「安全な」ショーに仕立てようとするサミュエル・L・ジャクソンの演技と、それを振り切って渾身のパフォーマンスを披露するケンドリック・ラマーの対比によって、ひとつの物語性がそこに立ち上がっていた。つまり、彼は屈しないということ。世間の風潮や資本主義的な要請にも反骨精神を貫くブラックカルチャーの象徴を担う意志が見て取れた。ステージに立つパフォーマーは全員が黒人だ。赤、青、白の衣装を身にまとうダンサーたちが星条旗の形のフォーメーションで並ぶシーンも印象的だった。つまりケンドリック・ラマーはスーパーボウルという最も注目を集める舞台で「アメリカ」という存在そのものをモチーフに、自らがそれを掴んでいることを示すショーを見せたというわけだ。
ドレイクへのディスソングとして生まれた“Not Like Us”という曲には、2024年の巨大なヒットを経て、新たな意味と文脈が加わっていた。ある種ミーム化した「They not like us」というフレーズが持つ意義をより大きなパースペクティブから示したのがグラミー賞とスーパーボウルでもあった。甚大な被害をもたらしたロサンゼルスの山火事を受け、授賞式全体にチャリティとしてのメッセージがもたらされたグラミー賞では、西海岸の連帯を示すアンセムとして。そしてスーパーボウルでは長い歴史の中で周縁に追いやられてきたアメリカ黒人の団結を示す言葉として。ケンドリック・ラマーはその価値を再定義した。2月がアメリカにおける「黒人歴史月間(Black History Month)」であることも背景の文脈に寄与した。
そして、そのスーパーボウルをトランプ大統領が現職大統領として初めて観戦したというのも、とても象徴的なことだった。
トランプ大統領は就任日の1月20日、連邦政府の「DEI(多様性、公平性、包摂性)」プログラムを終了する大統領令に署名している。それを受け、マクドナルド、アマゾン、メタなどの大企業もDEIへの取り組みを縮小すると発表している。2月にはディズニーがDEI推進策を修正し、メッセージ性よりもエンタテインメント性を重視する方向へ舵を切った。
また、トランプ大統領は就任演説で「性別は男性と女性の2つのみ」という見解も示した。DEIは、ソーシャルメディア以降の社会の変化の中で「Black Lives Matter」運動や性的マイノリティ(LGBTQ)の権利拡大と共に、特にバイデン政権下で広がってきた新しい概念だ。ただ、そのルーツは1960年代の公民権運動に遡る。長い歴史の中で人種やジェンダーのマイノリティが権利を獲得してきたその営みは、2025年に入り、目に見えて後退しようとしている。
グラミー賞でも、そうした動きに抗する数々の発言があった。レディー・ガガは「最優秀ポップ・グループ賞」を受賞した際の受賞コメントで「トランスジェンダーは透明な存在ではありません。愛されるに値する人々です。クィアコミュニティは支援に値します」と主張。「最優秀新人賞」を受賞したチャペル・ローンはレッドカーペットのインタビューで「トランスジェンダー女性なくして、私はここにいなかった」と告げた。「グローバルインパクト賞」を受賞したアリシア・キーズは「DEIは脅威ではなく、ギフト」とスピーチしている。
アメリカ社会に長く続く、保守派とリベラル派の価値観を巡る対立「文化戦争」。それが新たな局面に入ったと強く感じる2025年の幕開けだった。

音楽ジャーナリスト 柴 那典(しば・とものり) LINK
1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオ出演など幅広く活動する。著書に『平成のヒット曲』(新潮新書)、『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『ボカロソングガイド名曲100選』(星海社新書)、『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。ブログ「日々の音色とことば」
Twitter:@shiba710 /note : https://note.com/shiba710/