【ポップの羅針盤】第19回 RADWIMPS野田洋次郎が綴ってきた生と死について by 柴 那典

ESSAY / COLUMN

あれは、僕の人生の中でも一、二を争うくらいの、とても奇跡的な偶然だったと思う。

かつて幻冬舎から刊行されていた『papyrus』というカルチャー誌があった。僕はそこでよく仕事をさせてもらっていた。とりわけ思い出深いのが、20104月号の巻頭特集「RADWIMPS野田洋次郎 インド 生と死を想え」だ。野田洋次郎のインド滞在に密着し、その旅のエピソードや感じたことを、本人の日記に加え、滞在中の七夜連続インタビューと帰国後のインタビューで語ってもらった特集である。

旅は2009年の11月末から12月上旬。密着したのは『papyrus』編集長の日野さん、そして当時の編集部員で、今は出版社・水鈴社の社長として活躍する篠原さんだ。僕は同行していない。しかし不思議な縁があった。ある日、別件のやり取りの中で、日野さんに「この日からこの日までは日本にいないので取材などの仕事は受けられません」と伝えた。雑談の中で、結婚したばかりの妻と一週間のインド旅行に行く予定だとも話した。すると「詳しい日程を教えてくれませんか?」と言う。そうしてインド密着取材の企画を聞かされた。調べてみると、僕たち夫妻の旅程と『papyrus』チームの旅程が一夜だけ重なることがわかった。『papyrus』では以前からライターとして何度もRADWIMPSを取材させてもらっている。じゃあ、是非現地で会いましょうということになった。

そうしてガンジス河沿いの聖地・バラナシで野田洋次郎に会った。レーベルやマネジメントのチーム、編集部の日野さんと篠原さん、そして僕と妻で夕食を囲んだ。偶然がもたらした一夜だった。

そこで何を話したかはもう覚えていない。でも帰国後のインタビューで話したことは今でも覚えている。取材は数時間に及んだ。「インドはどうでした?」みたいな簡単な話はあっという間に終わり、テーマは必然的に、死生観についての深く根源的な話題へと移っていった。生きることについて。自由と不自由について。普段の取材では話さないようなことを、たくさん語り合った。

2011年の「絶体延命」ツアーのこともよく覚えている。アルバム『絶体絶命』がリリースされたのは201139日。その2日後の311日に東日本大震災が起きた。ツアーは4月1日の郡山からスタートするはずだったが、郡山・山形・盛岡・仙台の計4都市5公演は、被害状況を踏まえ、すべて延期された。僕は雑誌『音楽と人』で423日の福岡マリンメッセ公演をレポートすることになり、同地を訪れた。まだ悲しみと不安が日本中を覆っていた頃だ。あの夜も特別だった。ホテルに戻り、興奮しながら深夜に原稿を書き上げた記憶がある。

2013年の野外ライヴ「青とメメメ」も鮮烈な記憶だ。場所は宮城県・国営みちのく杜の湖畔公園みちのく公園。ステージで野田洋次郎が弾いていたピアノは、石巻の幼稚園で津波に見舞われて水没し、その後、地元の楽器店で修復されたグランドピアノだった。彼らは震災直後に特設サイト「糸色-Itoshiki-」を立ち上げている。翌2012年には「白日」を、2013年には「ブリキ」を、以降も数々の楽曲を311日に合わせて公式YouTubeで発表してきた。失われた命への思いに寄り添い続けてきた。

そもそもRADWIMPSは、最初から「命」について歌い続けてきたバンドだ。生きること、死ぬこと、何よりも大切なもの、理不尽な世界の矛盾について歌い続けてきた。

だからこそ、最新アルバム『あにゅー』に収録された「筆舌」は、とても彼ららしい楽曲だと思う。「電話帳の中の人が少しずつ死んでいったり」という歌い出しで始まるこの曲。野田洋次郎が「生きてりゃ色々あるよな」と繰り返し歌うフレーズが、深く胸に刺さる。

「筆舌」のミュージックビデオは藤井道人監督が手がけ、広瀬すずが主演をつとめている。街をゆっくりと歩く彼女の姿と、フラッシュバックする幸福な記憶の光景が映し出される。曲後半で野田洋次郎が「あの行きつけの店の店長は自殺だったこと 死ぬ3日前連絡があったけど 出られなかったこと」と歌う。その後の広瀬すずの表情に惹き込まれる。まるで短編映画のような余韻が残る。

野田洋次郎は、最初から生と死について歌ってきた。

2005年のメジャーデビューシングルは「25コ目の染色体」には、「あなたが死ぬその まさに一日前に 僕の 息を止めてください」という歌詞がある。初期の代表曲「有心論」では、「2秒前までの自殺志願者を 君は永久幸福論者にかえてくれた」と歌う。

けれど、20年前には見果てぬ未来の可能性として描かれていたその死生観は、20年後の「筆舌」では、積み重ねられた過去とリアルな事実として綴られる。

「生きてりゃ色々あるよな」というのは、きっとそういうことだ。

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音楽ジャーナリスト 柴 那典(しば・とものり) LINK

1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオ出演など幅広く活動する。著書に『平成のヒット曲』(新潮新書)、『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『ボカロソングガイド名曲100選』(星海社新書)、『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。ブログ「日々の音色とことば」 
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