【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第72回 「瞳はダイアモンド」のカバーを聴いて考える、現代人にとっての「歌謡曲」って何だろう by カルロス矢吹
ESSAY / COLUMN
〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターはカルロス矢吹さんです。
「ねえねえ、あれ聴いた?」
って他人に言いたくなるときありますよね、音楽好きなら。というわけで、こんな書き出しから始めます。ねえねえ、あれ聴いた?角舘健悟による、「瞳はダイアモンド」のカバー曲。
色んなジェネレーションギャップを考慮して、とりあえず固有名詞の解説を。角舘健悟は、バンドYogee New Wavesでヴォーカル&ギターを担当しているアーティスト。そして「瞳はダイアモンド」とは、日本を代表する女性アイドル松田聖子が1983年にリリースした15枚目のシングル。作詞が松本隆、作曲が呉田軽穂(松任谷由実の別名)という、昭和を代表する黄金コンビによる楽曲です。このカバー曲は、芸能事務所サンミュージックによるプロジェクト「サンミュージック・レコード」の第一弾。松田聖子を筆頭に、早見優や岡田有希子など、サンミュージックが輩出したアーティストの楽曲を現代の音楽家にカバーしてもらう、という企画です。
で、それにあたって角舘健悟が<松田聖子さんの名曲「瞳はダイアモンド」をカバー歌唱させていただきました>というコメントを出していました。その中で、<この曲の素晴らしいところは、松田聖子という稀代のアイドルを支える音楽家やアーティストたちの愛にあると思います。歌詞世界と生活が静かにリンクする瞬間を流行歌というフィールドで作り出している。歌謡音楽の素晴らしいところだと思います>という風に、『歌謡曲』を定義していたんですね。
このコメント読んで、当たり前だけど『歌謡曲』というものの立ち位置が時代によって変わってるんだなあ、と。以前、社会学者の宮台真司が歌謡曲を「テレビを通してお茶の間に届けるための音楽」みたいな定義をされていた。それ自体は的を射ていると思うけれど、「お茶の間」どころか「テレビ」もない現代では、若者がこの感覚を共有できると思えない。でもご存知の通り、昨今歌謡曲が若い世代にも刺さり始めている。その理由、現代人にとっての歌謡曲の定義を、角舘のコメントはバシッと捉えているんじゃないかと思ったんです。楽曲制作がどんどん安価になっている今、歌謡曲って<アイドルを支える音楽家やアーティストたち>の叡智や技術を集結した、嗜好品になっているんだろうなと。アナログな生活が、一周まわって贅沢な暮らしになるのと一緒で。その雰囲気を、角舘健悟による「瞳はダイアモンド」からは熱烈に感じ取ることができました。
まあ、これも仮説です。このプロジェクトをキッカケに、聴いた人と「現代において歌謡曲って何だろう?」をディスカッションしてみたいなと思った次第でした。

作家 カルロス矢吹
作家。1985年宮崎県生まれ。世界60ヵ国以上を歴訪し、大学在学中より国内外の大衆文化を専門に執筆業を開始。著書に「北朝鮮ポップスの世界」「世界のスノードーム図鑑」「日本バッティングセンター考」など。展示会プロデュース、日本ボクシングコミッション試合役員なども務め、アーティストやアスリートのサポートも行う。上田航平、ラブレターズ、Saku Yanagawa、吉住、Gパンパンダ星野の6名によるコントユニットTokyo Sketchersの米国公演準備中。