【ポップの羅針盤】第8回 レディー・ガガは、なぜ、ここまで「狂気」を体現するのか。 by 柴 那典

ESSAY / COLUMN

今年最も賛否両論を巻き起こしたとも言える映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』。

特にアメリカでは興行収入も評価もかなり苦戦している。問題作だという声も多い。けれど、僕はこれ、傑作だと思っている。前作『ジョーカー』でホアキン・フェニックス演じる主人公アーサーのカリスマ的なダークヒーロー像に思い入れを持った人にとっては期待外れの内容だったのかもしれない。ミュージカル仕立ての演出に違和感を持った人もいたようだ。でも、「これはレディー・ガガの映画なんだ」と捉えると印象がガラッと変わる。スリリングで魅惑的な瞬間が沢山ある。本作でレディー・ガガは刑務所に収容されたアーサーを信奉する熱狂的ファンの女性、ハーレイ・クインを演じる。歌を通して二人は結びつく。

 『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』ではオリジナル曲だけでなくジャズやミュージカルのスタンダード・ナンバーも歌われる。自身が演じたキャラクターからインスパイアされたレディー・ガガのアルバム『ハーレクイン』にも「That’s Entertainment」など数々の名曲が収録されている。こうしたナンバーも劇中で重要なポイントになっている。レディー・ガガにとっては、キャリアの中で巨匠トニー・ベネットとの共作ジャズアルバムをリリースしたり、ダンス・ポップだけでなくジャズやスタンダード・ナンバーにトライしてきたことも、今作への布石となっているはずだ。

 映画のストーリーの大半は法廷劇として進む。アーサーの人生が恥辱にまみれた惨めなものであったことが語られていく。でも、そんな身も蓋もない現実をひっくり返す虚構の妄想が、歌の中でだけ具現化する。タイトルに含まれる「フォリ・ア・ドゥ」とはフランス語で「二人狂い」を意味する言葉。妄想を持った人物と、その人物に親密な結びつきのある相手が、外界から影響を受けずに共に過ごすことで、妄想が共有され、感染していくという症状のことだ。前作『ジョーカー』でアーサーの「笑い」が病による発作と結びついていたのと同じように、今作でのハーレイ・クインの「歌」はやはり病と表裏一体のように思える。レディー・ガガの歌にそういう「狂気」の要素があるのだ。

 思えばレディー・ガガが俳優として脚光を浴びるきっかけになった2018年の『アリー/ スター誕生』もそうだった。あれも歌が導く特別な結びつきをモチーフにした作品だった。陶酔と、その果てにある悲劇的な結末が描かれていた。ブラッドリー・クーパーと共に歌った「Shallow」は、恋に落ちるということを通して、浅瀬からどんどん深みにハマって戻れなくなっていくということを綴った曲だ。

 先日には新曲「Disease」もリリースされた。自身7枚目のニューアルバムからの第一弾シングルで、これもタイトル通り「病」についての曲だ。ダークなエレクトロ・サウンドに乗せて「私は医者を演じることができるし、私はあなたの病気を治すことができる」と歌う曲。レディー・ガガ自身のSNSでのコメントによると「自分自身の内なる悪魔との関係」についての曲だという。内なる闇に向き合うこと、恐怖から逃れようとしても逃れられないということを歌った曲。ホラーテイストに仕上がったミュージックビデオにもその要素が感じられる。

 レディー・ガガは今年8月にブルーノ・マーズとのコラボシングル「Die With A Smile」をリリースした。「Billboard Global 200」で8週連続首位を獲得するなど世界的なヒットとなっているこの曲は、「もし世界の終わりが訪れるならば、そのときにはあなたのそばにいたい」と歌う曲。「Shallow」にも通じる美しくロマンティックなデュエットのバラードだ。これは純愛のモチーフだけれど、それと並行して『ハーレクイン』や「Disease」があるのが、とてもレディー・ガガらしいと思う。

 前作『クロマティカ』収録の「911」を筆頭に、これまでレディー・ガガは、たびたびメンタルヘルスをテーマにした楽曲を表現してきた。現実と夢が交錯するような「911」のミュージックビデオも示唆的だ。内なる自分自身との葛藤、痛みとの戦い、そして救いへの道というモチーフは、新曲「Disease」にも共通するもの。おそらく「LG7」として予告されているニューアルバムの核心になりそうな予感もする。

 レディー・ガガは、なぜ、ここまで「狂気」を体現するのか。もちろんそれは彼女自身の経験によるものが大きい。でも、ポップスターにそういうものが求められる時代の空気とも無縁ではないように思う。レディー・ガガはデビューアルバムの『ザ・フェイム』から名声と偶像ということをテーマにしてきた。自らを「マザー・モンスター」、ファンを「リトル・モンスター」と称して、SNSが駆動するファンダムカルチャーをいち早く体現してきた。そういう先に『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が象徴するような「虚像の感染」がある。そう捉えると、ちょっと鳥肌が立つような感じがする。

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音楽ジャーナリスト 柴 那典(しば・とものり) LINK

1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオ出演など幅広く活動する。著書に『平成のヒット曲』(新潮新書)、『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『ボカロソングガイド名曲100選』(星海社新書)、『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。ブログ「日々の音色とことば」 
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