【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第52回 たった一人のために by 狗飼恭子

ESSAY / COLUMN

〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは狗飼恭子さんです。

わたしが一番最初に他者に読んでもらうための物語を書いたのは四歳のとき。うさぎが主人公の物語だ。それは、母親のために書いたお話だった。物語の内容はもう覚えていないけれど、母に「とてもいいお話だね」と言ってもらえて嬉しかったのを覚えている。

作家になったばかりの頃に編集者さんに言われたのは、「みんなのためでなく誰かたった一人のために書きなさい」ということだ。たった一人を想いその人に伝えたいことを書けば、それは必ず多くの人に届くものになる。その言葉はずっとわたしの中にあるのだけれど、なかなか上手くできずにいる。

昔、ある映画の脚本を書いた。実在する小さな町を舞台にして下さい、それ以外の制約はありません、という企画だった。監督と一緒に、知らないその町に行っていろんな場所を見て人に会って話をして、物語を作った。

台湾から来た留学生がその小さな町でさまざまな人に出会い、そこで起こるあれやこれやを眺め、成長し、台湾へ帰る。大まかなストーリーを言えばこれだけの話で、でもその小さな町は自然にあふれ本当に美しく、演じる俳優さんたちは瑞々しく、とても優しい映画になった。どういう事情なのかその映画はDVDにならず、配信で観ることすらできない幻の映画になってしまったけれど、今でもとても好きな作品だ。

その映画の主題歌を作ってくれたのが、当時まだデビュー間もなかったあいみょんさんだった。0号試写という、スタッフ関係者だけが観る試写会でわたしははじめてその主題歌を聴いた。驚いた。

その歌は完全に、「その映画のため」のものだったからだ。映画を作る様々な作業は同時進行で行われ最終的に一つにまとめられるものだから、あいみょんさんがその曲を作ったのは映画が完成する前のはずだ。それなのにどうしてこんなに完璧に映画にあった歌を作ることができたんだろう。信じられなくて、わたしは試写が終わったあと監督と話をするより先にあいみょんさんのところへ駆け寄った。

 「あの曲は、脚本を読んで書いてくださったんですか?」 と、突然話しかけた気がする。名前も職業も言わず挨拶もする前だったので、一体誰になんのために聞かれているのか分からなかっただろうけれど、彼女は、はい、と小さな声で答えてくれた。わたしはその返事がすごく嬉しくて、一言だけお礼を言って去った。

その歌は確実に、映画の主人公たった一人のために作られた曲だった。脚本を読んだだけで、彼女は、あの映画の登場人物を完全に「人間」として理解してくれた。それは書き手にとって、とてつもない感動だった。

それからほんの短い時間であいみょんさんは大スターになって、たくさんの人が彼女の歌を聴くようになった。それは彼女が「たった一人のため」の曲を作ることができる人だからだ、と思う。

今更わたしが彼女の音楽について語ることなんかないけれど、わたしは今も彼女の声を聴くたびに、あの歌を作って歌ってくれたことに感謝をおぼえる。

そうして胸に刻むのだ。わたしもいつか書く。たったひとりのための物語を。

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小説家とエッセイスト 狗飼恭子 LINK

18歳のときに詩集「オレンジが歯にしみたから」(KADOKAWA)を上梓。その後、作家、脚本家として活動を始める。主な著作に小説「一緒に絶望いたしましょうか」、エッセイ「愛の病」(共に幻冬舎)などがある。また、主な脚本作品に映画「風の電話」(諏訪敦彦監督)、映画「ストロベリーショートケイクス」(矢崎仁司監督)、映画「百瀬、こっちを向いて。」(耶雲哉治監督)など。近作に、ドラマ「忘却のサチコ」「竹内涼真の撮休」「神木隆之介の撮休」や映画「エゴイスト」(松永大司監督)などがある。