【Good Taste Is Timeless】第2回 『さぼうる2』のナポリタンとGONTITI by 松永 良平

松永 良平(まつなが りょうへい)

ESSAY / COLUMN

洋館のダンジョンみたいなレンガ造りの階段を地下へ降りてくるのは、きっとモンスターの使い手に違いない。

『ストレンジャー・シングス』に出てくるような異世界への窓が、この地下のどこかにきっと空いているはず。ひたひたと近づく男は、サングラスをかけたリーゼント。何もかも怪しい。

 席についているぼくの前に、彼はお冷を置き、1枚の紙を渡した。それはメニューではない。

 「また、新しいのができましてね。ひひひひひ」

 そう言いながらほくそ笑む。ますます怪しい。残された紙はB4ほどの大きさだった。手書きの文字とイラストがしたためてある。魔術の古文書の類だろうか。それとも呪いの魔法を書きつけた秘密のレシピか。しげしげと眺めていると、男がこちらを覗き込むように、こう言った。

 「ご注文は?」

 ハッと我に還る。なんだなんだ、ここは奇妙なダンジョンじゃなかった。神保町の名喫茶店『さぼうる2』だ。注文を聞きに来た彼とは前にも会っているし、「ひひひひひ」なんて笑ってはいない。

 「ナ、ナポリタンで」

 動揺を悟られないようにしようと声を出したら、ちょっと裏返りそうになってしまった。『さぼうる2』に来たらナポリタン。いつもそう決めているはずだった。なのに、この面妖な紙のせいで、変に気が張ってしまっている。

 お隣の『さぼうる』は喫茶のみ。『さぼうる2』では軽食ができる。近所で取材を終えて、腹ごなしをしようと思い、今日は『2』に立ち寄ったんだった。軽食といっても、この店のナポリタンは軽くない。学生街らしいたいそうなボリュームで有名だ。軽食と名乗っているが、胃袋がおじさんになると、そう簡単には完食できない。今日は取材で結構しゃべったので、胃袋に余裕があると思えた。だから、ひさしぶりに寄ってみたのだった。

 リーゼントのウェイターが去り、あらためて紙を広げた。落ち着けよ、良平。この紙は、前にも見たことあるだろ。

 『やま中かわら版』。それは、いわゆる音楽壁新聞だった。最初にその新聞に気がついたのは、去年の夏のこと。『さぼうる2』で、その日もナポリタンを注文したのだが、食べながら壁に貼られた手書きの紙に目が止まった。その文字というより、最初に気がついたのは、マイク・オールドフィールドのファーストアルバム『チュブラー・ベルズ』のジャケットを模写したイラストだった。映画『エクソシスト』のテーマ曲に採用されたことで、50年ほど前に一世を風靡したアルバムだ。

 『チュブラー・ベルズ』を適当に手書きしたイラストが目に入ると、その周りのテキストや他のイラストも気になってきた。どうやらこれは熱心なマイク・オールドフィールド好きが作ったファンジンかしら? 他にもいろんなネタがびっしりと書き込まれていて、目で追っているとナポリタンを食べるのに集中できなくなりそう。でもそれがなぜこの店に貼られているの?

 あまりにも気になったので、会計するときに店員さんに「あれ面白いですね。誰が作っているんですか?」とレジで訊ねてみた。すると後ろを向いていた男性の首が『エクソシスト』のリンダ・ブレアのように180度回転した!……なんてことはなく、「ぼくです」とうれしそうに答え、1枚コピーをくれた。それが、これだ。あの夏のマイク・オールドフィールド号が創刊号だったはず。それから数ヶ月が経ち、さっきもらった最新号は紙面がカラーになっている。

 今回の特集はGONTITIだった。

 この『やま中かわら版』は、かつて同じく神保町の名音楽喫茶である『ラドリオ』で長年発行されていた『ラドリオかわら版』の精神を引き継いで、新たにスタートしたものだと知った。今回のGONTITI号には6人のスタッフがクレジットされている。リーゼントの彼が、中心のひとり、とみー氏だと知った。紙の裏表に、寄せ書き感覚でスペースを分け合って、それぞれの思いと愛着ポイントが自由に書きつけられていて、偏ってるけど気持ちいい。店内ではなぜかモーニング娘。の「LOVEマシーン」が流れていたが、脳内ではGONTITIの名教「修学旅行夜行列車南国音楽」を再生しながらしばらく読みふけった。

 ふたたび階段を降りる音がして、『かわら版』を読むぼくの前で立ち止まった。

 「お待たせしました。ナポリタンです」

 ちっとも待たされてなんかいない。『やま中かわら版』は、ぼくにとって最高の“読むBGM”だった。それもローファイ版の。

 こんもりと小山のようにパスタが盛られ、ケチャップの香りが香ばしく漂う。まさしく、正調ナポリタン。かつて初めて来たときは、食べても食べても減らないものだから、そのうち自分が心身ともにナポリタンにとりこまれて、このダンジョンに囚われたミイラみたいなナポリタン男になるんじゃないかとすら思った。さすがに今はもうそんな妄想はしないけどね……と自分に言い聞かせたが、今日は頭のなかで別の衝動が湧き起こっている。

 レジで会計を済ませ、いったんは店を出ようとしたしたその刹那、トミーさんにこう告げていた。「次号作るときは、ぼくにも何か書かせてください」。

 そのとき、ぼくの姿はもうナポリタン男になっていた。

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ライター 松永 良平(まつなが りょうへい)

1968年熊本県生まれ、東京在住。ライター/編集/たまに翻訳。雑誌/ウェブを中心に記事執筆、インタビューなどを行う。著書に『20世紀グレーテスト・ヒッツ』(音楽出版社)『ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック』(晶文社)。編著に『音楽マンガガイドブック』(DU BOOKS)など。翻訳書に『ブライアン・ウィルソン自伝』(DU BOOKS)『レッド・ダート・マリファナ』(国書刊行会)。映画『アザー・ミュージック』では字幕監修を務めた。雑誌『POPEYE』にて「ONGAKU三題噺」、音楽ナタリーにて「あの人に聞くデビューの話」連載中。自分の意思で買った最初のレコードは原田真二かCharになるはずだったが、弟の介入により世良公則&ツイストのファーストに。