【ポップの羅針盤】第2回 ビヨンセと「歴史を語り直す」ということ by 柴 那典

ESSAY / COLUMN

ビヨンセは歴史の中に生きている。

だいぶ前からそう思っている。移り変わりの早いポップ・ミュージックの渦中で常に第一線を走りながら、その視座は、トレンドやシーンの動向というよりも、むしろ変わりゆく社会の現在地としてのを俯瞰で見下ろしているような高い位置にあるように思う。

なぜ僕は、そして多くのファンやリスナーはビヨンセの作品やライブパフォーマンスにこれほど興奮するんだろうか。その一つの理由は、大きく言ってしまえば、ポップカルチャーというものに社会を揺り動かす力があるんだということ、それぞれの個人の生を鼓舞する力があるんだということを、体感させてくれるからなんじゃないかと思う。

ビヨンセの信念は一貫している。ジャンルや表現方法は多彩だけれど、10年以上キャリアを遡ってもその軸は変わっていない。それはアメリカに生きる黒人女性としての誇りと祝福をリプレゼントすること。そして、そのために脈々と積み重ねられてきた過去のカルチャーの系譜に敬意を払い、それを自分のやり方で華々しく昇華すること。

そして結果的に、白人主体で語られてきた「文化の主体性」を取り戻し、現代史のナラティブを書き換えることだ。

たとえば2018年、黒人女性初のヘッドライナーとして出演したコーチェラ・フェスティバルでのステージと、その翌年に公開されたNetflix配信ドキュメンタリー映画『HOMECOMING』が最も象徴的だろう。ステージ構成はかつて差別の対象だった黒人に高等教育を与える教育機関HBCU(歴史的黒人大学)の文化として知られるマーチング・バンドとダンスのスタイルを取り入れたもの。そのパフォーマンスは多くのメディアに「歴史的」と称賛された。

最新作『カウボーイ・カーター』にも、その信念は揺るがず貫かれている。

新作は2022年の『ルネッサンス』に続く三部作の第2作。『ルネッサンス』は、ブラック・クィア・コミュニティと密接な関係にあったハウス・ミュージックのルーツに焦点を当て、黒人やクィアの先駆者への愛を込めたダンス・ミュージックのアルバムだった。

そして次にビヨンセが取り組んだのがカントリーだった。ビヨンセは本作を発表するにあたってのコメントで、制作の由来として「何年も前に、自分が歓迎されていないように感じた経験をしたことがありました」と明かしている。これは2016年、「第50回カントリーミュージックアワード」にてザ・チックス(当時の名義はディクシー・チックス)と共にアルバム『レモネード』収録のカントリーソング「Daddy Lessons」をサプライズパフォーマンスした時のことを示しているのだろう。ビヨンセ自身はテキサス州ヒューストン出身、父はアラバマ出身、母はルイジアナ系と南部のルーツを持つ。カントリーやカウボーイ文化にも馴染んで育っている。にもかかわらず保守層の多いカントリーファンを中心にSNSではバッシングも受けた。

そして、それは「学ぶこと」への原動力になった。コメントは「その経験があったからこそ、私はカントリーミュージックの歴史をより深く掘り下げ、豊富な音楽のアーカイブを研究しました」と続く。

ビヨンセ自身が「これはカントリーアルバムではありません。これはビヨンセのアルバムです」と言っているとおり、『カウボーイ・カーター』は単にカントリーを取り入れたアルバムではない。バッファロー・スプリングフィールドを引用した「American Requiem」から始まり、ナンシー・シナトラやビーチ・ボーイズを引用した「Ya Ya」など、60年代のロックや、フォークや、ブルースや、ゴスペルや、様々な音楽がタペストリーのように編み込まれている。ビートルズの「Blackbird」のカバーも、ポール・マッカートニーが60年代の公民権運動に影響を受けて書いた曲ということに意味がある。ウィリー・ネルソン、ドリー・パートンというカントリー界の大御所に加え、カントリーの分野で初めて商業的に成功した黒人女性アーティストであるリンダ・マーテルをゲストに招いていることも重要なポイントだ。

おそらくビヨンセは「白人による保守的な音楽」としてのカントリーのイメージを解体して、黒人文化としての伝統と自身のルーツに紐づけてカントリーから広がる音楽地図を再構築する営みとしてアルバムを作ったのだろう。

そして、その試みは実際に成果に結びついている。ビヨンセは本作とリード・シングル「Texas Hold’Em」で、米ビルボード・カントリー・チャートを制した史上初の黒人女性アーティストになった。

今後には三部作のラストが控えている。ダンス・ミュージック、カントリーと来て、今度は何に取り組むのだろうか。『ルネッサンス』が東海岸、『カウボーイ・カーター』が南部となると、次は西海岸だろうか。だとするならば次はロックだと噂されているのも合点がいく。

「歴史を語り直す」ということは、自分たちがどこから来てどこに向かうかを指し示すということだ。ポップカルチャーは社会にとっての羅針盤になる。ビヨンセはその先頭に立っていると、ずっと思っている。

 

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音楽ジャーナリスト 柴 那典(しば・とものり) LINK

1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオ出演など幅広く活動する。著書に『平成のヒット曲』(新潮新書)、『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『ボカロソングガイド名曲100選』(星海社新書)、『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。ブログ「日々の音色とことば」 
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