【Good Taste Is Timeless】第1回 『茶の間』のカレーとモーツァルト by 松永 良平

松永 良平(まつなが りょうへい)
イラスト キングジョー

ESSAY / COLUMN

ドアを開けてなかへ。「いらっしゃいませ」と、声がかかると思っていた。

  KBS京都でラジオ番組を半年間出演することになったのは、去年の10月から。野球のナイター中継がお休みの間の穴埋め枠で、土曜日6時に自分の音楽番組を持つことが、あれよあれよという間に決まった。

 初回の収録日、番組を担当してくれる小林ディレクターと、ちょうどお昼どきに待ち合わせをすることになった。そのときにぼくが指名したのが喫茶店『茶の間』だ。ドアを開けた。いつものように、ぷうんと香ばしいスパイスの香りと、荘重なクラシックが聴こえてきた。

 『茶の間』を見つけたのはぐうぜんだった。数年前、別の番組収録でKBS京都を訪れていたとき、少し時間が空いたのでランチを食べに外に出た。そのときも小林さんが担当してくれていて、「このあたりはご飯が食べられる場所が少なくて」と申し訳なさそうに言われたのを覚えている。局の東側は巨大な京都御所が広がっていて、のんびりとした散策には打ってつけだが、その貫禄の分だけにぎやかなファストフードやファミレスの進出を拒んでいる感がある。精神的な結界みたいなものだろう。

 結局、すこし歩いたところにあるそば屋さんの昼定食で済ませた。戻る予定の時間までもう少しある。途中に喫茶店を見つけた。地元で長く憩いの場として営業しているらしい、こじんまりとした洋風な店構え。店名は『茶の間』。

 ドアを開けてなかへ。カウンターには、ご店主らしき女性がいた。え? 宮本信子さん? 思わず目をゴシゴシ。もし彼女が宮本信子扮するあの映画の主人公、タンポポだとしたら、ぼくは山﨑努扮するゴロー。一瞬で、伊丹十三の映画『タンポポ』(1985年)の世界に入り込んでしまった気がした。だとしたら、ここは潰れかけたラーメン店のはずだが、そんなはずはない。それに、そんな気まぐれな妄想は、すぐにかき消されると決まっている。あの「いらっしゃいませ」のひとことで、ぼくはよくある日常に連れ戻されるのだ。

 と、思っていた。

 しかし、京都のタンポポは、「いらっしゃいませ」の代わりに、こう言ったのだ。

 「ごめんなさいね。カレー、もう無いんですよ」

 え? カレー? ラーメン、ではなく? ていうか、「ちょっとお茶したいだけです」と喫茶店なのにおかしいなと首をわずかにひねりながらコーヒーを飲んだ。それが『茶の間』との出会いだった。

 局に戻って、小林さんに『茶の間』の話をすると、「あの店はスリランカの留学生が教えてくれたレシピをもとにしたカレーが大人気で、ランチタイムは予約しないと入れないくらいなんですよ」と教えてくれた。

 カレーが人気? スリランカ? タンポポ=宮本信子のイメージにあえて寄せて考えれば、スリランカ人留学生こそが、この店のゴローだ。店構えといちいちそぐわない場違いなワードの羅列にクラクラしたのが懐かしい。

 「番組にトークのお相手をそのうち迎えたいとのお話でしたけど、やっぱり松永さんのひとりしゃべりがいいと思うんですよ」

 ナプキンで丁寧に包まれたスプーンとコップに注がれたお冷が置かれたテーブルを挟んで、小林さんはぼくに言った。番組ではCDやデータではなく、アナログのレコードだけをかけていくことは決まっていたが、よく深夜放送であるような、放送作家的な存在の相方をスタジオに招き入れるのはどうか。そんなぼくの相談というか弱音に対する小林さんの回答は明快だった。

 「それだとお話は盛り上がるかもしれませんが、何よりも心配なのは、松永さんがかけたい音楽の時間が減ってしまうと思うんです」

 その言葉には、ドキューンと胸を撃ち抜かれた。なんのことはない、ひとりきりで1時間の番組が成立するのかを憂うぼくの不安も見抜かれていたのだと思う。この瞬間、覚悟を決めた。かける音楽がトークの相方なんだ、という気持ちになればいい。ボケもツッコミも長い解説も興醒めするレコード自慢も要らない。かける曲そのものが何かを語ってくれるし、そういう曲を選んでいけばいい。

 「お待たせしました。中辛です」

 ランチセットのミニサラダに続いて、目の前にビーフカレーが運ばれてきた。カレーポット(ルーを入れる銀容器)は、おかわり可能で、そのときに辛さを変更できる。スリランカ仕立てだけあって、普通でもずいぶんと辛い。中辛はチャレンジだとわかっているんだけど、この日は初回収録で気を引き締めたくて、一段上の辛さをチョイスした。案の定、大汗をかいてしまう。でも、それでよかった。流した汗の分だけ、迷いがデトックスされていく気がした。

 ふうっとひと息ついて、食後のコーヒーを飲む。それまで気がついてなかったが、店内ではクラシックが流れていた。Shazamしてみたら、「アルバン・ベルク四重奏団によるモーツァルト弦楽四重奏曲第21番」と出た。今まで気がついてなかったけど、この店ではずっとクラシックが流れていた。街の名曲喫茶だったのか。そういえば、映画の『タンポポ』ではマーラーが流れていたよね。

 「ごちそうさま」「ありがとうございました」

 そんなありふれたやりとりだったが、ぼくの耳には「これから番組、ひとりでがんばって」と宮本信子の声で聞こえていた。

profile_img

ライター 松永 良平(まつなが りょうへい)

1968年熊本県生まれ、東京在住。ライター/編集/たまに翻訳。雑誌/ウェブを中心に記事執筆、インタビューなどを行う。著書に『20世紀グレーテスト・ヒッツ』(音楽出版社)『ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック』(晶文社)。編著に『音楽マンガガイドブック』(DU BOOKS)など。翻訳書に『ブライアン・ウィルソン自伝』(DU BOOKS)『レッド・ダート・マリファナ』(国書刊行会)。映画『アザー・ミュージック』では字幕監修を務めた。雑誌『POPEYE』にて「ONGAKU三題噺」、音楽ナタリーにて「あの人に聞くデビューの話」連載中。自分の意思で買った最初のレコードは原田真二かCharになるはずだったが、弟の介入により世良公則&ツイストのファーストに。

イラスト キングジョー

1968年香川県生まれ、大阪在住。画家/DJ。ガレージパンクへの想いを綴った『SOFT,HELL!ガレージパンクに恋狂い』(メタブレーン)『悪魔のティーンエイジブルース』手書きレコジャケ画集『SINGLES GOING STEADY』手書きイベントフライヤー画集『WHAT GOES ON(共にプレスポップギャラリー)、身辺雑記『EVERYDAY LOVE(タラウマラ)等の著書有り。自分の意思で買った最初のレコードは「君は薔薇より美しい」(布施明)。コロナ禍以降禁酒中。