【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第8回 中納良恵とオリンピックと商店街。 by 渡辺祐

渡辺 祐
イラスト 竹内 俊太郎

ESSAY / COLUMN

〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは渡辺祐さんです。 

 オリンピックを見ていてふと思ったのです。「ああ、綺麗なんだな」と。鍛えられたアスリートの姿も美しいわけですが、それと共にですね、見ている画面が綺麗。その中に映るそれぞれのスポーツ施設が綺麗。日本武道館ですら綺麗(失礼だろ)。カメラの性能&モニターの性能アップの仕業はもちろんあるのでしょう。金属とガラスとプラスチックと強めのカラーリングの会場演出とユニホームが夏の太陽光とLEDでキラキラしてる。

 綺麗な施設での試合の合間には、新たに作られた施設を中心に、豊洲、お台場、スカイツリーなんかの空撮映像が映ります。そのキラキラ東京を見ていて思ったんですね、「ああ、こりゃ再開発された東京に慣れろということなのかしらん」と。いいか悪いか、好きか嫌いかは別として、そこにあるのは「再開発東京」。例えば町中華のいい味の出てる暖簾とか、緊急事態宣言下にもかかわらず賑わっている居酒屋とか、昔からある商店街のお惣菜屋とか、派手なホストクラブの看板とか(別の意味でキラキラだけど)、キラキラしていない東京は映らないわけですから。ま、当たり前ですけど。

 中納良恵さんに最初にお目にかかったのは、もう20年ぐらい前のことになる。お目にかかったと言っても、大阪に出張に行った際に知人が連れていってくれたお店に、たまたまEGO-WRAPPIN’のお二人とスタッフが居た、という話で、知人(音楽関係者)の紹介で挨拶はしたかもしれないけれど、したかもしれないという程度のことでありました。ただ、そのお店(ぼんやりとですが、煤けた焼肉店と記憶)があった商店街のアーケードや路地の渋い佇まいと共に、そのときの「画面」だけはしっかりと覚えている。

 そんな記憶があるからかもしれないけど、中納良恵さんは商店街の人のようだと思うことがある。

 どこかの国のどこかの街にある、元気な商店街。そこに1996年開店のEGO-WRAPPIN’屋がありまして、そこの看板です、良恵さん。気っぷもいいし、商売にもまっすぐ。少し頑固そうだけど、話してみれば情もある。もうひとりの看板である森雅樹さんは、曲の品揃えのよさと生来の気のよさで評判。愛され続けて四半世紀を超えようかという店なので、老舗とまではいかないまでも、なかなかいい味が出てきている。夏の音楽祭りに出店しても人気者。しかも、良恵さんの歌いっぷりのよさは、商店街どころか広く巷で知られておりますから、それを聞きつけた商売仲間からも呼び出される。これがまた評判がいい。そして、もう一軒、ソロでのお店も構えるようになった良恵さん。こちらはEGO-WRAPPIN’屋とはひと味違う、これもまた真似の出来ない品揃えで、どこにもない空気を醸し出しております。最近、そちらの店で売り出した『あまい』も一度味わうと忘れがたい味がある。

 この話、長いですか(笑)。

 音楽を作る人にも、聴く人にも、商店街にも、それぞれの昔があって今がある。ヴィンテージのギターには各時代の音が染みこんでいる。居酒屋のカウンターは呑兵衛たちの手ですり減っている。それがいつの間にやら更地になって、綺麗に再開発されるばかりだとしたら、どうも、なんか、こう、アレだなあ。こっちの画面には「再開発されてない何か」を映しておいて欲しいんだけどなあ。もう少し。

 オリンピックを酔眼横目に、でもわりと熱心に見ながら思ったという次第です。

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編集者、DJ 渡辺 祐

1959年神奈川県出身。編集プロダクション、ドゥ・ザ・モンキーの代表も務めるエディター。自称「街の陽気な編集者」。1980年代に雑誌「宝島」編集部を経て独立。以来、音楽、カルチャー全般を中心に守備範囲の広い編集・執筆を続けている。現在はFM局J-WAVEの土曜午前の番組『Radio DONUTS』ではナヴィゲーターも担当中。