【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第15回 音楽遺伝子の感染経路とグソクムズの噺 by 渡辺祐
ESSAY / COLUMN
〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは渡辺祐さんです。
グソクムズです。どういう意味なんでしょう、グソクムズ。2021年末に1stアルバムをリリースした4人組。バイオグラフィーには「吉祥寺を拠点に活動するシティフォークバンド」とある。ふむふむ、シティフォークときましたか。でもネオフォークとか言わないのですね、と思っていたら、続けて「はっぴいえんどを始め、高田渡やシュガーベイブなどから色濃く影響を受けており、しばしば『ネオ風街』と称される」とありました。ネオはこっちだったか(笑)。
いずれにせよ、これはおぢさんも黙ってはいられない。聴いてみた。うわ確かに、この感触を70年代に10代だったおぢさんは知っている。知っているけど紛れもなくヤング。世代には隔世遺伝的な? いや、風街だけに隔世遺伝風? 隔世遺伝系でもいいか。隔世遺伝調だとちょっと胡散臭いか。どうでもいいか。
編集・ライター業を長く続けていると、困ったときの慣用句のようなものに頼っちゃうことがあります。ちょっと前までのニュースで「住民は眠れぬ一夜を過ごしていました」ってシメてたアレのようなことです。ぐうぐう眠っている人がいてもですよ。音楽関係だとレコ評みたいな短い原稿に使いがち(今はレコ評って言わないか)。例えばサウンドを表現しかねたときに「ボーダーレス」とか「ハイブリッド」とか「進化形」とか書いたり、グソクムズに「はっぴいえんどの遺伝子を持つ」とか書いたりすることです。さっき書いてますね。
この「遺伝子」はよく使われるので、いまさらながら考えてみたのですが、血縁関係はなくても使うのが面白い。歌舞伎役者とかスポーツ選手とか政治家なんかだと、リアル遺伝子だったりすることも多いですが、音楽の世界だとぐっと減りますな。落語なんかの世界は独特で、いわゆる弟子入りしないとデビューできない。落語家は、師匠(時にはよその師匠も可)から教わった噺を稽古します。そうやって「つけて」もらわないと高座にあげられないのだそうで、いわば「勝手なカヴァー禁止」です。そう考えると落語は稽古を通して遺伝子を受け渡しているイメージ。
じゃあ、血縁でも弟子入りでもない、音楽の遺伝子を媒介するモノはナンだと言えば、すべからく音楽そのものであります。遺伝子はレコード盤の溝に刻まれ、針に伝わって、電気でどうにかなって(雑!)、そして空気を震わせてやってくる。遺伝情報の空気感染です。ポップなものを寵愛してしまうことを「ポップ・ウィルスに感染する」と称したのは亡くなって10年を数える川勝正幸さんですが、その慧眼やお見事。余談ですが、星野源さんのアルバム『ポップ・ウィルス』は、この川勝系遺伝子による命名です。
ある日ある時、溝に刻まれた音楽の飛沫が、ずっと空中に放出し続けられてきたことの凄さに思い至り、それを吸い込んで自由に咀嚼したり、変異させたりしながら、いつかワン&オンリーの変異株となる凄さに思い至っております。グソクムズを聴きながら。
ところで「どういう意味なんでしょう」と書いたバンド名ですが、タワーレコードのサイトにある動画インタヴューを見てみたら「結成時、ダイオウグソクムシが話題になっていたので、最初はダイオウグソクムズだったんだけど、短くなった」そーです。なかなかの若気の至りですが、ダイオウイカの方じゃなくてよかった。ここだけの話ですが、筆者が「愚息がムズムズする」という意味だったらどうしようと思ったことは反省せざるを得ません。
編集者、DJ 渡辺 祐
1959年神奈川県出身。編集プロダクション、ドゥ・ザ・モンキーの代表も務めるエディター。自称「街の陽気な編集者」。1980年代に雑誌「宝島」編集部を経て独立。以来、音楽、カルチャー全般を中心に守備範囲の広い編集・執筆を続けている。現在はFM局J-WAVEの土曜午前の番組『Radio DONUTS』ではナヴィゲーターも担当中。