【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第23回 ソフトエクレアの記憶と1976年のユーミン by 青野賢一

ESSAY / COLUMN

〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは青野賢一さんです。 

 子どもの頃に好きだったお菓子で記憶に残っているもののひとつに不二家の「ソフトエクレア」というキャンディがある。その商品は、バニラ、コーヒー、チョコレートのクリームをそれぞれの味に合わせたソフト・キャラメルで包んだもの。「エクレア」のネーミングはなかにクリームが入っているからであろう。販売開始は1972年といわれており、1990年代の半ばまで売られていたようである。その後、多くの再販リクエストを受けて2010年頃に復活し、現在も販売されている。わたしが小さい頃、我が家ではこの「ソフトエクレア」と、同じく不二家の「ノースキャロライナ」という渦巻模様のソフト・キャンディがキャラメルやヌガー系の定番だった。幼いときにたびたび訪れていた「不二家 銀座店」のレストランの印象も関係しているのだろうが、不二家のお菓子類はどこか洒落た雰囲気と味わいでほかとは一線を画する魅力があった。

 不二家のお菓子はテレビCMも品があったのを覚えているが「ソフトエクレア」はなんといってもCMソングが忘れがたい。「ソフトエクレア 風のセロファンで 包んだわた雲なの」という歌詞のこのCM曲を歌っていたのが、誰あろう松任谷由実=ユーミンなのだ。調べてみると、この曲が使われていたのは1976年からのようで、題名は「ほっぺたにプレゼント」というCM用のオリジナル曲。この「ほっぺたにプレゼント」はユーミンの「ソフトエクレア」CM曲としては2曲目で、のちに『魔女の宅急便』(1989)の挿入歌としても脚光を浴びる1974年の「やさしさに包まれたなら」が1曲目、それに続いて「ほっぺたにプレゼント」、そして1980年からは「まぶしい草野球」が採用されている。わたしが幼かったせいか「やさしさに包まれたなら」はまるで記憶になく、「ソフトエクレア」といったら「ほっぺたにプレゼント」なのだが、それほどまでに強い印象があったのは、その歌声によるところが大きい。1976年当時まだ8歳だったわたしは、CMソングを誰が歌っているかは理解していなかったものの、少しあとになってユーミンの曲を耳にした際に、即座に「ソフトエクレアの歌の人の声だ」と思ったものだ。それほどまでにインパクトがあったのである。

 

 

 1976年といえば、結婚を機に荒井由実から松任谷由実となった年。前年10月にリリースされたシングル「あの日にかえりたい」がドラマの主題歌であったことも手伝って自身初のオリコン・チャート1位を獲得し、多くの人の知るところとなっていた頃だ。そんな追い風のなか、1976年には過去にリリースしたアルバムにも注目が集まり、年間アルバム・チャートの50位以内には『YUMING BRAND』(1976年、3位)、『COBALT HOUR』(1975年、5位)、『ひこうき雲』(1973年、11位)、『MISSLIM』(1974年、14位)の4作品がランク・インしたのだった。

 

 

 作詞家、作曲家が手がけた楽曲を歌手が歌う、いわゆる歌謡曲や演歌とは違った、シンガー・ソングライターの作品は当時は「ニュー・ミュージック」と称されることも多かったわけだが、荒井由実=松任谷由実はまさしく新しいタイプの音楽の旗手のひとりだった。1975年の年間アルバム・チャートでは1973年発売の井上陽水『氷の世界』が日本レコード史上初のミリオン・セラーを記録したのを筆頭に、小椋佳や吉田拓郎(当時はよしだたくろう)、かぐや姫といったフォーク勢が多数を占めていた。それが1976年になると潮目が変わりつつある印象で、そうした新しい音楽の潮流を牽引したひとりがユーミンであったのは間違いのないところ。そんなユーミンの人気の高まりは、1960年代後半のカウンター・カルチャーやそれに伴うスローガンが後景に退き、「イメージの時代」とでもいうべきタームの始まりを予感させるこの年を象徴する出来事ではなかっただろうか。

 

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ライター 青野賢一 LINK

1968年東京生まれ。
ビームスにてPR、クリエイティブディレクター、音楽部門〈ビームス レコーズ〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。
現在は、ファッション、音楽、映画、文学、美術などを横断的に論じる文筆家としてさまざまな媒体に寄稿している。2022年7月には書籍『音楽とファッション 6つの現代的視点』(リットーミュージック)を上梓した。