【LIFE MUSIC. ~音は世につれ~】第29回 毎朝生まれ変わるための歌 by 狗飼恭子
ESSAY / COLUMN
〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴ってもらう連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは狗飼恭子さんです。
東京を離れて一年半。わたしは今、森の中にある部屋に住んでいる。
森の中はとても静かだ。鳥の声と風の音と木々の揺れる音しかしない。ときおり遠くで鹿が鳴く声がする。「キーン」みたいな「ケーン」みたいな不思議な声。そのささやかな音たちは、音がないときよりも余計に静けさを感じさせる。当たり前みたいに冬には雪が降って、夜が長くてものすごく寒い。夏はほんの少ししかなくて、春も秋もやっぱり寒い。毎朝起きるのが億劫で、永遠に布団の中にいたくなる。だから朝が来るたびにあの歌の歌詞が頭をよぎる。
「一番辛いのは朝起きること」
ハンバート ハンバートの『小さな声』の冒頭だ。
ハンバート ハンバートの歌って全部、なんだかちょっとだけ死を連想させるよなあ、と、布団の中でぼんやり考える。メロディラインも歌声も歌詞も、みんな柔らかで静かでシンプル。なのに死を連想するってことは、わたしにとって「死」は柔らかで静かでシンプルなものなのかもしれない。そういえば、睡眠は死のようなもので人は毎日新しく生まれるのだ、なんてことをいう人がいた気がするけど誰だっけ。
二十年以上暮らした東京から森の中に移住したのにはいろいろな理由があるけれど、そのひとつに、東京はうるさい、というのがあった。わたしは引きこもりがちだからほとんど家にいたのだけれど、それでも東京に住んでいると、二重サッシの窓の外から様々な音が部屋に入り込んでくる。車の音、知らない誰かの笑い声や怒鳴り声、救急車やパトカーのサイレン、電車が参ります白い線の内側にお入りください、五時ちょうどに流れるカラスと一緒に帰りましょうのメロディ、その他いろいろ。うるさい世界ではどうしても音に鈍感にならざるをえない。そうじゃなきゃ、苛々しながら暮らさなきゃいけないことになるから。
森の中の部屋にいると、音が、体に染みるのが分かる。鹿の声も、木々のざわめきも、風の吹きすさぶ音も染みる。静けさも染みる。一緒に音楽も染みる。
「生きてるって本当に難しいことだね」
これは『君の味方』の歌詞。うんそうだね、なんて心の中で呟いて、音楽を体に染みこませる。四月にも雪が降るこの森では、三月はまだまだ冬だ。それでも少し春の気配がする。空をゆく鳥のさえずりが少しだけ明るく聞こえる。
東京を離れても相変わらず仕事ばかりしているし人間との付き合いはどうにも苦手だしうまいこと言えないし世界は悲しいことだらけだしまたあの人を怒らせちゃったかななんてことばかり気にしながら生きてる。でも。大丈夫だ、と思う。どんな辛いことがあっても、「朝起きること」を乗り越えられるわたしなら大丈夫だ。
今日もわたしは朝を迎え、布団から起きてカーテンを開けた。それだけで充分えらいし、わたしは毎朝生まれ変われる。
小説家とエッセイスト 狗飼恭子 LINK
18歳のときに詩集「オレンジが歯にしみたから」(KADOKAWA)を上梓。その後、作家、脚本家として活動を始める。主な著作に小説「一緒に絶望いたしましょうか」、エッセイ「愛の病」(共に幻冬舎)などがある。また、主な脚本作品に映画「風の電話」(諏訪敦彦監督)、映画「ストロベリーショートケイクス」(矢崎仁司監督)、映画「百瀬、こっちを向いて。」(耶雲哉治監督)など。近作に、ドラマ「忘却のサチコ」「竹内涼真の撮休」「神木隆之介の撮休」や映画「エゴイスト」(松永大司監督)などがある。